Sunday, 17 November 2024

比婆山連邦縦走<牛曳山(1144m)、伊良谷山(1148.8m)、毛無山(1143.7m)>

 比婆山連邦( 牛曳山(1144m)、伊良谷山(1148.8m)、毛無山(1143.7m))の 縦走

2024年11月10日(日)

  本日の登山は、県民の森公園センターの周辺の山で、比婆山連峰の縦走コースの一部である、牛曳山(1144m)から、伊良谷山(1148.8m)、毛無山(1143.7m)の各連山を登り、下り、して、カラフルな紅葉を楽しんで、県民の森へ下山するコース。

比婆山公園センター

  天気は、午前中は晴れて、青空が顔を出し、比婆山の森林の葉がその彩りを添え、青空に美しく映えておりました。昼過ぎから、空は灰色の雲が薄く広がる。予報では午後は雨になっていましたが、3時過ぎに雨がぽつぽつと降り始め、その時は、幸いにも車の中に乗り合わせ、広島への帰路につくところとなりました。

  10時半過ぎ、県民の森公園センターの駐車場に到着。駐車場は、安芸の紅葉と登山をめざすハイカーの多くの車で、ほぼ満杯の状況でした。

  ここ、比婆山県民の森は、特に秋の紅葉シーズンは、見事な紅葉を、愛でる人で、賑っているところです。

出発!、牛曳山から毛無山へ縦走。

  我が、明日山会の本日の参加者は4人、中でも、紅一点の女性のTさんの参加を得ました。

9:50公園内の駐車場付近に広がる、赤い紅葉を見ながら準備運動もそこそこに、出発!

  公園内を流れている、川の近くの紅葉が真っ赤に燃えて、みごとな紅葉です。今年の紅葉は、温暖な気候のせいで、色づく時期が例年より、ひと月ばかり遅いとのこと。

牛曳山登山口前の紅葉が綺麗でした。

 最初にめざす登山目標は1144mの牛曳山。

  道中は、比較的幅の広い、砂利道の登山道。両側の茂みと雑木林の中の熊笹の緑も含め、黄色から赤などのカラフルなグラデイエーションが、山道の雰囲気を醸し出しています。

白樺の紅葉と斜面の緑が良くマッチしている。


  しばらく進むと、山肌に沿って、そそり立つ背高の白樺林の道。その太い幹が白く光って、白樺にかかる、白っぽい、黄色、赤色の枯れ葉が、晴れた青空に良く映えて、気品のある美しさを漂わせています。



  ここで、「白樺」と云えば、ふと思い出す日本の歌謡曲メロディーは、千昌夫の「北国の春」。しばし、口ずさむ。「♪白樺(しらかば~ 青空(あおぞ~ら~ 南風(みなみ~か~ぜ~ ♪・・・」。

  山道の坂は、そんなに険しくはないが、道ばたの石がゴロゴロして、歩きにくいようです。ここで、山歩きの教訓!「がれ場のような、石コロの多い道での山歩きの登山靴は、底の幅が大きいのに限る!」でした。

牛曳山へのルートで見かけた滝

  やがて、道は川沿いに進み、滝が見えてきます。高低差30~40メートルはあろうか、二段の滝となって、轟々と音を立てながら、細い白い糸を束ねたように、まとまって滝つぼへ落ちてくる。水量もこの時期としては多い。夏場なら「滝行」も悪くはないです。
牛曳山山頂の近くへ到着 12:10分

牛曳山山頂近くの紅葉

伊良谷山頂到着 12:50分

伊良谷山山頂にて、明日山会の山ボーイズと山ガール。

伊良谷山頂から比婆連峰が見えます。左から
烏帽子・比婆・池の段・立烏帽子・竜王とつらなる。

13:57分 毛無山山頂へ到着。
 
毛無山山頂へ到着!

毛無山の頂上から歩いてきた牛曳山・伊
谷山が見えます。良く歩いてきました

   途中、直径が40cmから50cmの倒木が道をふさいでいるところが二カ所あり、最初は道の端から回り込めたが、後者は、倒れた幹樹の太い周りの木の下と山道の間の通れるすき間が約50cmぐらい、そのすき間を無理な身体の体勢で、潜り抜けようとしたら、てきめん!両足の太ももの筋肉が「けいれん」を起こし、その痛さに立っていられなくなり、しばらく、痛みをこらえて、寝転がって、そのけいれんの痛みが引くよう、態勢を立て直すのに、5分はかかりました。 

毛無山から公園センターへはジグザグな道を下りて行きます。
ジグザグだから勾配はゆるやかで少し時間は掛かりますが楽ちんです


 その間、同行メンバーの一人、Tさんが「けいれんを止める飲み薬」を差し出そうとしてくれましたが、そのけいれんは程なく治まり、ホットしました。足の筋肉がけいれんを起こしたときは、身動きできない程の結構な痛さで、ふと、このまま「歩けなくなったら、困るな!」と思いました。私の苦しむ様子を心配そうに見守っていただいた、Tさんや皆さんには感謝です。

県民の森公園センターの赤い紅葉

 三つの山、牛曳山、伊良谷山、毛無山の各頂上をめぐり、麓の県民の森センターには

15:10分 頃に到着、公園の楓が一段と赤く見えました。

 帰りの車の中で、やはりこの時期の紅葉と云えば、本日登った「比婆山連峰のやまやま、牛曳山、伊良谷山、毛無山」の周辺の紅葉が、その色どりから、空の青さまで、最高!かなと思いました。

                                    


くるまの

Friday, 1 November 2024

日野山(火野山)HINOYAMA) 705.4m (広島県) 

                                                     このたびは高木さんの就筆です。

2024年10月27日くもり 気温20~22度 山登り日より(2~3日前は雨予報だった)

日野山は旧大朝町と千代田町の境に位置し、(火野山、火山、日山)などとも称される。

戦国に吉川興経のあとを継いだ吉川元春により築かれた大規模な山城=日山城(ひのやまじょう)があり、寺院跡も多く歴史的に貴重とのことである。

日山城跡案内版

吉川元春のあとの吉川広家は秀吉の命により、出雲富田城に移り、その富田城は月山と呼ばれ、日山と対をなしている。

今回の参加者は6人(M3 W3)+1人(Kさんの高2のお孫さん参加)=計7名

 8:25 広島を出て 中国道千代田🆋からR261を大朝方面に向かうと、中山峠のあたり左に日山城跡の案内板があり、坂を少し上がると3~4台置ける駐車場があった。簡易トイレが1台あったが使用不可だった。

駐車場と使えないトイレがある

 9:25 日野山方面に向かう。

日野山方面へ

5分ほどで常仙寺跡の標識があり横に日山城跡の説明板杉林、桧林の林道を登って行くと小川の中に橋を兼ねた大きな水路管がある(Tさんが詰まっている木くずを取り除こうとしたが出来ず、帰り再挑戦、管の中に小川が流れ成功)

ここから沢登りの始まり。

沢登りの始まり。


可なりきつい沢登り

滑らないよう気を付けながら沢渡りを繰り返しながら30分登ると、浄必寺分岐(←)と日山城(↑)方面の標識がある。

本丸、米藏段への分岐点


クマザサだらけの道をかきわけ急坂を登る。かなりきつい! 米蔵段分岐を過ぎてやっと尾根道に出て、広々とした中城跡に着く。ホッと一息‼

さらに急坂を登り、ゆったりとした大門の原(10の郭)から→大広間の段(14の郭)へ向かう。

ゆったりとした 大門ノ原

大広間の段

※途中、先頭より注意の声:道そばの木の根元スズメバチがうろうろ!。急いで通り抜ける。

下りの時下の沢の所でもスズメバチが水浴びをしていた。熊に遭遇せず良かったです。

10時40分日野山山頂に到着

2の丸分岐、3の丸分岐を過ぎ 最後の壁を越えると 本丸跡(27の郭)= 日野山(火野山)頂上だ。10:40着 

1段低い出丸と合わせると、かなり大きな広場ですが、樹木に遮られ見晴らしはありません。

南に霞んで少し千代田の街並みが望めるのみ。

南に霞んで千代田の街並みが・・・


少し早く出たので予定より30分早い登頂なので、弁当は下山して食べるかとの声も

ありましたが、結局ここで、早い、早い弁当タイムです。11時前の弁当タイム、今までで1番早いかな?

 11:20 下山開始 姫路丸という郭(片方断崖)に寄り道、大朝寒曳山方面もはっきり見えませんでした。

笹の中に サラシナショウマ

花はほとんどありませんでしたが、下りの時、Mさんが白い花を見つけたようで、それが

しいサラシナショウマでした。また、赤い花を付けたヤマツツジが1本だけ可憐に咲いていました。

可憐なヤマツツジ

  あと小さなキノコもたくさんあちこち顔を出していました。名も知らぬキノコ 食べたらヤバイ⁉

日野山(火野山)はクマザサと29の郭(周囲を土や石で囲んだ場所)と小さいキノコ、たくさんの山、日山城跡で少し歴史を感じた、趣のある山でした。


早く下りて来たので(12:30) 帰り千代田の古保利薬師に寄り、国重文の薬師如来坐像ほか拝観、道の駅舞ロード千代田で買い物して 14:30帰着

 


Saturday, 19 October 2024

吾妻山(Azumayama)1238mh

2024年10月13日(日曜日)

快晴の下、久し振りに吾妻山の花を楽しんできました。(香口さん就筆)


7:40集合場所スタート

吾妻山へは中国自動車道を走り、以前は庄原ICで下り向かっていたけど、今は松江道の高野ICで下りて向かいます。

みちの駅たかのからR432を走るのですが、表示が直進と左折両方にあり、左折した車の到着が遅れ、50分遅れのスタートとなりました。

間違った表示では無いのですが紛らわしいから注意が必要です。

10:30ロッジ前駐車場スタート

ロッジの左側を回り草原に出ると最初マツムシソウ・カワラナデシコが出迎えてくれます。

マツムシソウ

カワラナデシコ

少し高度を上げるとリンドウ・ヤマラッキョも姿を見せます。

リンドウ

ヤマラッキョ

駐車場から高低差は250mあまり、高齢者にとっても優しい山。

前方に吾妻山が見える

子供達の団体が居て、走り回るのを見るのも気持ち良いものです。

大勢の登山客、子供たちも走り回ってる

林を抜け尾根の見晴らしの良い中腹に出ると、眼下にロッジと草原が広がっていて、猿政山・毛無山が見え、遠くには以前登った大万木山も見えます。

眼下に草原が広がる

遠くに、以前登った大万木山

11:40頂上に到着。ゆっくりですねー。

天気も良し!山も良し!景色も良し!

子供達の団体はとうに到着していて弁当を広げ楽しそう。

頂上から紅葉のシーズンに良く歩く比婆山連峰が見えます。左から烏帽子山・比婆山・池の段・奥に立烏帽子山、ここから見ると結構歩くのだと解ります。

遠くに比婆山連峰が見える

私達はススキの大膳原に下り、ススキを掻き分けキャンプ野営地で弁当にしました。

テントを広げ野営する人もいます。

13:20大膳原をスタート

丁度今キノコのシーズンで、名もしらぬキノコが沢山顔を出しています。倒木にはスギヒラタケがびっしり、しかし松茸・香茸はありません。昔は何処の山でも山ほど採れ、肉より松茸が多いスキヤキを食べていたとの事。

名も知らぬキノコが・・・

倒木にはスキヒラタケがぎっしり…

再度ススキをかきかき分け吾妻山を少し登り返し、ひょうたん池・南の原経由でロッジ前の駐車場に到着する。

ススキと山の風景が、調和する風景。

ひょうたん池・南の原経由で駐車場へ、

14:45ロッジ前駐車場スタート

みちの駅たかのでお買い物タイムも忘れなく取りました。

17:25広島到着

Wednesday, 5 June 2024

賤ヶ岳・伊吹山・安土城 Sizugadake・Ibukiyama・Azuchizyou

賤ヶ岳 (421mh)Sizugaake

2024年 5月21日

朝7時、スッキリ晴れ渡った青空と明るい日差しの中を、2台のレンタカーが五日市インターのETCを抜け、山陽自動車道から中国縦貫道に入り、三次市に向かう。この度のこのハイキングツアーを企画した、もう一人のメンバーのNさん(広島県三次市に最近移住)をピックアップし、明日山会メンバーの計11人でこの度の3日間の遠征ハイキングツアーが始まった。

車は一路、関西は滋賀県の琵琶湖の東岸に位置する、長浜市まで4時間のドライブ。その間の昼食を済ませ、全員体調はOK大津SAを過ぎたところから、米原JCTから、道路は平日にもかかわらず車が渋滞。木之本ICから最初の目標の賤ヶ岳(しずがたけ)の登り口にある麓のパーキング場にPM2時40分到着。

賤ヶ岳(海抜41mh)は、木之本町の大音の登山口からのアップが約300mの山で、リフトは頂上近くまで行けるが、リフトの終点から、さらに50mhの坂道を約10分ぐらい歩かなければ、賤ヶ岳山頂にたどり着けない。

 リフトの乗り場の右側には、歩いて登れる登山口がある。リフトの係の人が、歩くか、リフトか、どちらにするかを聞いてきたが、我々、健脚の明日山会メンバーは、最初に歩いて登る方を選択。帰りはリフトで降りることにする。

登山道とリフトは並行して続いている。

 登山道は、リフトの架線と支柱が続いている谷間を縫うように、並行して、ジグザグに続いており、比較的に登りやすい傾斜。時折、リフトが走っているその真下を頭上のリフトを見上げながら、登山道を歩くことになる。登山道の山間の谷には新緑の木々が生い茂り、谷間から麓の木之本町の田んぼや家屋が見える。

約一時間、ジグザグの坂道を登りきると、空が急に開け、木の葉の間からまぶしい太陽の光がさし込む地点に到着。そこは山の鞍部で、その近くには先ほどの下から上がってくるリフトの終点もある。山頂は目の前200m先に見える。下山の時は、そこからリフトに乗り込んで下山することに決める。

そこまで登って来た時、メンバーの一人が、張り切り過ぎて、いささか早いペースで歩き、リフトの終点の辺りで、ついにバテる。他のメンバーがサッサと先に登るのを横目に、暫く横になって休憩。その地点からは、頂上は目の前だが、美しい奥琵琶湖とその湖岸が眼下に綺麗に広がる。

 賤ヶ岳山頂に到着、琵琶湖の北岸が見える.
 そこから約200m先、約50mhほどアップした所に、頂上の石碑が見える。そのバテ気味の一人も「もう10分頑張れば、頂上だ!」と自分に言い聞かせ、モタモタと最後の頂上への登頂を試み、3時52分についに賤ヶ岳山頂に到達。
 山頂は琵琶湖及び眼下の景色が是眺望です。また、歴史を感じる史跡・公共トイレ等施設もあり素晴らしい山頂です。
 私も、ちょっと腹痛を感じ、腹を抑えながらトイレを探していると、メンバーのNさんが、それを察知して、「あそこにトイレがあるよ!」と、その指先の向こうに小さな建屋、中に入ると、簡易水洗トイレがある!助かる。「こんな山の上に立派な水洗トイレとは素晴らしい!」と感激。

賤ヶ岳山頂広場

山頂からの眺めは、北東に余呉湖。西から西南にかけて琵琶湖とその対岸が見え、山のふもとの町も良く見える。戦国時代に多くの将兵がこの山に登っては、敵の動きを観察したことだろう。

ここで、松尾芭蕉の一句が浮かぶ。 “夏草や 兵(つわもの)どもの夢の跡” がピッタリの場所。芭蕉のこの句は奥州の平泉の古戦場で歌われたが、どこの古戦場も同じ雰囲気がある。

広場には戦跡碑や戦没者の碑

 山頂広場には結構広く、高く成長した木々が所々にあり、「賤ヶ岳嶽合戦四百年記念植樹」などの植樹もある。

本能寺の変の後、信長の後継者争いで羽柴秀吉と柴田勝家が対立し、天正11年に賤ヶ岳を中心に、二人の武将を中心とした戦が繰り広げられ、羽柴軍が大勝利を期した戦場。「賤ヶ岳七本槍の話」で世に知られている、有名な七人の若武者の話。

広場には戦跡碑や戦没者の碑が建てられている。

賤ヶ岳の戦いの、戦没者を偲びつつ…

 琵琶湖を右に見ながら、山頂広場からリフト乗り場へ移動し、

登るときに下から見上げていたリフトで、全員楽に山を下ることができた。


5月22日 伊吹山(1,377h)へ登山 


車窓から見た伊吹山


 本日は、その伊吹山をめざします。滋賀県と岐阜県との県境に位置し、この地域では一番高い山。日本百名山のひとつに数えられる自然豊かな山です。

伊吹山は2023年7月12日の大雨により、麓から伊吹山への登山道が大規模に崩落し、麓から伊吹山へ歩いて登山することはできない事となったので、車でいける伊吹山の9合目まで通じている伊吹山ドライブウエイで、壮大な山並みの景観を実感する。

伊吹山ドライブウエイのゲート

  国道365号線沿いの伊吹山口の交差点を起点として、料金所をくぐり、切り立った新緑の林の中を抜け、車はグングン上昇する。ところどころに、現在の走っている道路の標高と、今何県を走っているかを記した看板の標識を目にする。

山頂近くまで続く伊吹山ドライブウエイ

 伊吹山ドライブウエイが山肌を縫って、遠くまで続く先を見ながら進むと、途中、12km地点の上平寺越駐車場があり、そこで、一時休憩。周囲の新緑に覆われた山並みと、ドライブウエイが山の彼方までズット続いている風景を堪能。

上平寺越駐車場にて、

 途中、大勢のバイクライダー達が、バイクをガードレールの傍らに止めて、それぞれ大きな望遠レンズを構え、下の谷底を覗いている様子。彼らは、何を撮ろうとしているのか?

霧が立ち込める中、鳥か何かが、谷を飛来してくるのを待っている様子。「イヌワシ」でも飛んで来るのかな?

終点の山頂駐車場に着いた。結構大きな駐車場で、普通車600台は止められるとか、車外に出ると、気温は低く、トイレがちかくなる。

近くに「スカイテラス伊吹山」という名の売店があり、近くにあるトイレは有料。小銭を投かんして用を足す。10円以上の寄付をしてくださいと書いてある。


西登山道コースの出発口のゲート付近、草花の写真


伊吹山ドライブウエイの終点は、山頂の9合目の近くの大駐車場(標高1260m)。車をパーキングして、そこから山頂までの3本の登山コースがあり、その中で、一番傾斜が緩やかな「西登山道コース」を登り、周りの景色を楽しむことにする。

西登山道コース

 西登山道コースは片道40分で、道幅は大きい。天気が良ければ、琵琶湖、日本アルプスや白山などが見えるが、あいにく、霧がかかっているので、景色はサッパリ。

登山道の入り口には、金網のゲートがあり、二ホンジカの侵入を防ぐ囲いがしてあった。また、獣害対策の募金箱も置いてあり、いろいろと対策をしているようだ。 

登山道の坂道の両サイドは花園になっており、その時々の花が咲いている。花園を通るとまでは行かないが、可憐な黄色い花 “キンバイソウ”かな?入口で見た、草花の写真一覧にある、キンバイソウに良く似ている。

可憐な黄色い花は“キンバイソウ”

登る途中の道には大小の白い石がゴロゴロして、ちょっぴり歩きにくい。Mさんが、ここの地質は何だろう?と、疑問を投げかけてきた。白い瓦礫のような石が散らばっている。

 後から、ネットで調べた結果、太古の時代に、この山が海底にあったものが隆起し、石灰岩などが、多く検出されることや、この山で、今でも石灰を採取していること、山口県の秋吉台のカルスト地形とよく似ていることなど、興味は尽きなかった。

ここで、伊吹山に関する質問。

〇伊吹山の山頂の付近が草原になって、何故、大きな樹木が育ってないのか?

伊吹山は全山が特殊な地質である石灰岩の山、雨が降らないと、乾燥しやすく、岩がゴロゴロで、大きな木が生えにくく、草原になりやすい。さらに、琵琶湖の湖畔にあるため、日本海側気候の影響を受けやすく、冬には猛烈な偏西風が吹き、風雪の被害もあり、草原の状態が続いているそうです。また、昔は、燃料に木材を採取していましたが、そのため木を伐りすぎて、禿山になった話もある。

〇伊吹山の麓からの登山道は何故、いつ頃から、通行止めになったか?

最近は、日本全国で、二ホンジカの食害により、山頂等のお花畑の衰退や、登山道のある南斜面の草原植生の緑地化が進行し、特に、令和元年頃から、南側斜面で降雨の影響による土壌浸食が深刻化して、令和5年7月12日に、大雨により土砂流出が発生し、登山道(上野登山口から山頂まで)が通行止めになり、現在、復旧を進めているところだそうだ。

伊吹山の山頂付近は霧の中

 山頂は霧がかかって、山頂からの視界は真っ白。伊吹山は古代からの霊峰とされ、神話に登場する日本武尊(ヤマトタケルのミコト)の像が我々に語り掛けてくる。

 古事記では、日本武尊(ヤマトタケル)が伊吹山の荒ぶる神を倒そうとして返り討ちにあったという神話が残されている。

白い猪(イノシシ)は伊吹山の神の化身で、その時、山の神は蛇になって現れ、日本武尊(ヤマトタケル)は、山の神の化身を見破れず、また、それをまたいで、通り過ぎたころ、神の怒りにふれ、にわかに山は暗くなり、どこを歩いて行ったら良いか分からず、さまよってしまう。それを強引に進み、さらに大粒の雹(ヒョウ)に降られて病気になり、その時、護身の「草薙の剣」をミヤズヒメの所に置き忘れてきたことに気が付くが、時すでに遅し。最終的には崩御したと言われている。日本武尊(ヤマトタケル)の神秘的な試練とその最後を描いた伝説がある。

その白い猪(イノシシの像を霧の中の山頂の社で見かけた。

白い猪(イノシシ)が鎮座されてます


そこで、登頂記念写真を近くに居られた、登山者の方にお願いして、撮影していただく。

日本武尊が我々を、見守っておられる・・・

伊吹山頂には、山小屋もあり、そこでは、お土産や伊吹山の登頂記念バッチなどもあり、また、日本武尊の像もある。

下山は中央登山コースを降りて、山頂駐車場に戻り、再びスカイラインで下りて、その後は、麓の関ケ原の古戦場後に向かう。


関ケ原古戦場記念館

 関ケ原では、かって徳川家康と石田三成が争った天下分け目の戦いの場で、岐阜の「関ケ原古戦場記念館」を訪れる。

 館内のグランドビジョン室で、巨大な床面スクリーンで、東西の陣営の動きと、戦いの様子が映し出された映像で、両軍が布陣した戦況の状況を俯瞰する。

 そして、次のシアター室では、双方の大軍団が激突する映像の中に、突然、投げ込まれてしまい、目の前を黒い長い槍や、鋭く光る刀が飛び交い、大音響の叫び声の中今にも、殺されてしまうのではないか、という恐怖が走る。
 
 座った状態で、目の前の目の回るような合戦の様子を見つめていると、その椅子までも、ごとごとと、キシム音がして・・・思わず自分も椅子の手すりを固く握っていた。

 あたかも、自分が本当に戦闘に巻き込まれて、逃げまどっているような、リアルな体験をした、数分を過ごす。

劇的な映画の後は、ホット開放されて、一息。展示室を見て、最上階の展望室からは、関ケ原古戦場が見渡せることができ、後に、石田三成が負けて逃げていく、笹尾山を見に行き、関ケ原の古戦場見物を終える。


思うに、今の平和な時代には、戦で殺される心配もなく、親しい仲間と、山をエッチラ、オッチラと登れて、、、美味しいご飯と酒が飲める、幸せを感じる。


長浜の旅館は「三谷旅館」到着。

 昨日から泊っている長浜市は豊臣秀吉のゆかりの地であり、我々が今回、お世話になっている旅館は「三谷旅館」で、今晩の食事が楽しみだ。


宴会は盛り上がりました。

旅館は和風のこじんまりした旅館で、家族的な雰囲気のおかみさんが、我々11人を暖かく持てなしてくれる。琵琶湖の特産「小鮎」などが上手に料理され朝の食卓にでてくる。

三谷旅館の前の通りは、同じような二階建ての建屋が続く町屋通り。近くには、小川があり、旅館の人の案内で、この時分には蛍を二、三匹、目にすることができた。旅館の前を通りがかりの人も、挨拶を交わされ、いかにも遠来のお客を暖かく持て成してくれる、雰囲気が漂っていました。

三谷旅館の玄関前の通り、閑静な路地

 長浜市には、長浜曳山祭りという、出し物があり、美しい曳山や子供狂言などの行事があり、皆を堪能させる。その写真が、この旅館の宴席にも飾ってある。

おかみさん、お世話になりました。

5月23日  安土城

標高198mの安土山一帯に、織田信長の居城として、建てられた城の跡。

正面入り口から、ずっと長い階段が続く。なんでも、天守閣の跡地まで450段の階段を登って行くことになる。

それにしても、長い階段を良く登って、お勤めを果たしたものだと、感心する!


安土城の、天守閣へ続く階段

「昔の侍は、足腰は強くなくちゃあ、務まりません。」と言う声が聞こえてきそうだ。

城の石垣は、この頃から始められた「野面積み」技法で造成してある。大手道を登り切り右の方へ進むと、大きな「仏足石」がでんと置いてあり、石垣の一部として使われたようだ。

この階段の直ぐ上方に天守閣の跡

 さら頂上付近には、一段高い石垣で囲われたところが天守閣となり、ここに五層七階(地上6階地下1階)の大きな天守がそびえていた、と伝えられている。

この天守はイエズス会の宣教師ルイス・フロイスによればヨーロッパにもあるとは思えないほどの壮大さであったと伝えられ、高さ33mの木造高層建築は、当時わが国で初めてのものであったとの、説明がある。


三重の塔

安土城天守跡の西下の二の丸跡から少し降りたところに信長公の本廟があった。

信長が没したのち、戦国大名や江戸時代の大名が、この安土城を手本にして、優美な高層の天守閣を競って構築したと伝えられている。

仁王門

この地を案内するガイドさんの調子のよい説明に、聞き耳を立てながら、菩提寺や三重の塔、仁王門などを見て回り下山する。

信長公の思いに心を馳せ、彼の執念の城である安土城の成り立ちを入念に見て回った次第。

今回は、滋賀県は琵琶湖の東岸沿いに多くの史跡やお城などを見て回った。自然の地形をうまく使って、それなりに、先人たちがその時々を生きる努力を重ねてきたんだなと感じる。

一路、広島へ帰郷。