Monday, 6 July 2026
Wednesday, 15 April 2026
亀居城跡 (大竹市)
2026年4月12日
本日は、大竹市の亀居城跡公園に、お邪魔する。
参加者は各自の車を朝10時に、近くのショッピングモールの駐車場に
止めて、亀居城跡公園のある丘を目ざして登山を開始する。
天気は晴れ、気温も適温で、ほど良い暖かさ、散策するには丁度良い。
駐車場を出て、住宅地から国道を横切って、山陽自動車道の高架下を横切り、
緩い坂を登って行くと...、小高い丘陵地帯に差し掛かる。
北西方向に小高い丘陵や石垣が見える。本日の目的地亀居城跡公園の丘陵地である。
この地点は何年 (4年前)か前に、明日山会で来た記憶があり、その時の情景が蘇える。
その時の坂道や、竹藪の竹林などが思い出される。
自分にとって、この地は大変、懐かしい思い出の地として、深く印象に残っている。
本日,同行のSさんと頷く。Sさんは、あの時、私が登山の杖を忘れてきたのを見かねて、
自分のリュックから予備の登山杖を2本ほど出して来て、わざわざ、「良かったらこれを
使いんさい!。」と云って、その2本の杖を貸してくれたことを思い出す。「あの時は、
2本のステッキで、大いに助かったよ!。」と、感謝する。
その時、どんな山でも、登山には、登山杖が無いと話にならないと思った!。
お城の駐車場を横目に、お城の城壁を迂回して、大手門にあたる石垣から入城。
| ピンクのボンボリが鮮やか。 |
目に飛び込んできたのは、石垣の間にある、能舞台の建物と休憩場としての東屋。
そして、桜の花にふさわしい、2mごとに電線にぶら下がった、色の濃いピンクのボン
ボリ灯篭が、華やかな桜祭りを思わせる、雰囲気を盛り上げている。
| 能舞台で舞を披露出来たら最高 |
この、東屋の一角で明日山会の食事タイムをとる。(いつも食事タイムのとき、
美味しいオヤツの差し入れがあり、差し入れをされた方には、この場をお借りして、
感謝申し上げます。「大変、心のこもった差し入れ有り難うございます。」
食事タイムが、終了後、下山となるが、ここで恒例の集合写真をパチリ。
| 堅牢な石垣の下で一枚、皆さんリラックスの様子。 |
Thursday, 26 March 2026
木の宗山(広島市東区 401mh) (Ki no Sou Yama )
2026年3月22日
広島市内には、こんな険しい山があったとは!、と、驚くほどの、登り甲斐のある山で、頂上には、戦国時代に築かれた山城の本丸跡がある。とがった頂上からの眺めは素晴らしい。
本日はこの山に挑戦する。午後3時ぐらいに雨の予報が出ており、早めに切り上げる予定で、商工センターから、山陽自動車道高速道を東へ、福田のインターへ、そこから近くの「憩いの森」に車を駐車。
すぐ近くの木の宗登山道入り口から、登山を開始する。
| 登山口の近くには、整備された階段を登る。 |
登り口は道が整備され、緩やかなスロープになっており、木枠の階段が連なって、ずっと上方向に延びている。この緩やかな山道を登って行くと、その道を反対側から、今、下山したと思われる我々と同じような、2~30名の登山グループに行き交う。
挨拶を交わしながら、すれ違う彼らの様子から、一行は、我々より、一足先に「木の宗山」を登って来て下山し、次なる、近くの別の山に登られるようなご様子。
Friday, 27 February 2026
江田島名峰巡り
2026年2月22日(日)
春の明るい陽射しがさし込む、晴天の日を迎え、本日の明日山会メンバーの
行く先は、広島湾から見える。目と鼻の先の、江田島(能美島)となります。
江田島は、瀬戸内海に浮かぶ島ですが、結構、高い山が多く、本日の登山
のお題は、「江田島名峰巡り」となります。山頂までは車で登れるので、山頂
から見える瀬戸内海と、点在する島々の絶景スポットを、存分に堪能できる。
本日の参加メンバーは、女性4名、男性3名の7名が、2台の乗用車に分
乗して、7時半に商工センターを出発。湾岸道路を超え、呉市内を通り抜け。
音戸大橋から、早瀬大橋を渡って、あっという間に江田町の町内を走行、
左に曲がって、いきなり山の登り道に入り、道路も細くなり、カーブにゆられ
ながら、狭く、厳しい山登りに差し掛かります。
運転をされている、Tさんと,Mさんが、少し狭い、舗装された山道を、しっかり、
ハンドルを取られないように運転、お二人とも、運転に思わず力が入ったとか?
車は一気に、陀峯(だほう)山の近くにある、海岸の崖の近くにそそり立つ
ごつごつした岩山、すなわち天狗岩が見えるところへ9時時半ごろに到着。
| この看板を右に40mくらい、海側に小道を、 下がるとごつごつとした、天狗岩があります。 |
道幅の広いところへ車を止め、そこから少し下ったところに「天狗岩」の看板。
その看板のあるところから右に、海側にそっての崖路を暫く進むと、その先には、
ごつごつとした石コロの塊のような、大きな置物のような、岩の怪物が山肌へ
くっついているのが見えます。これが、いわゆる「天狗岩」と呼ばれ、皆に親し
まれている岩山の出っ張り岩です。
岩の向こうには、先ほど通った早瀬大橋や付近の山々や、青く輝く瀬戸の海が、
絶景を見せてくれます。岩の間に立って記念撮影です。
天狗岩へ、へばりついて頑張ってます。
車を再び、走らせ、近くの陀峯山 に昇り、しばし休憩する。
そこから、更に車を三高の町や三高山へと一気に向かう。本日の本命は、
三高山にある砲台の跡を見に行くことにあります。
三高山(401.8mh)の頂上に上り切ったところの山頂の広場に、数基の砲台の
台座の跡があり、ここに、明治時代の後期に建てられた兵舎や、大砲や砲弾を格納
した倉庫などが残っており、緊迫した雰囲気が漂ってます。
<三高山砲台の歴史>
が急を告げる明治31年2月を境に、バルチック艦隊の入港を阻止するため、
広島湾一帯の数か所の一つとして、起工し2年の歳月を費やして完成した。
播州煉瓦と、いわれる独特な素焼きの煉瓦で造られた幾つかの兵舎があり、
ここには280ミリの榴弾砲6門、90ミリ速射砲4門、90ミリ台砲4門、
弾薬庫4棟、機械設備庫や大規模な旋回監視所、その他の建物が残されています。
三高山砲台は、総面積6万坪(198、000㎡)あり、西日本最大規模とも伝えられ
近代の土木技術を今日に伝えています。
| この写真の場所に、大砲の発射台が設置されていた。この山頂には、 このような区画をされた、大砲の発射台の区域が、数か所あった。 |
訪れたとき、この砲台の陣地や設備に関して、彼が過去の様子を推測していた
ことを、思い出します。
| 三高山頂にあった砲兵の兵舎, 左端に、炊事場がある。 |
明治時代の終わり頃に作られた砲台の基地に、これを守る兵士の宿舎が
あって、そこに何人かの兵士が泊まり込み、炊事などをして
この基地の運営と防御活動に携わったことが、伝えられています。
増田君が頂上の炊事場の「くど」に使ってある、赤い煉瓦や、建物の壁に
使かってあるブロックなどを見て、「この場所の建設に配属されていた関係者
や.配属された兵士達等はかなり、優遇されていたに違いない。」と言ってい
るので、その訳を尋ねると、「特に、赤い煉瓦などは、当時は非常に高価な
もので、この辺では,簡単に手に入らなかった。その高価な煉瓦をわざわざ、
山の上に持て上がって、炊事場の「くど」の構造の材料に使うのは、当時
かなり贅沢だったとのこと。
このことから、当時の明治政府が広島市や、日本の本土の防衛に、如何
に力を入れていたかが、良くわかるのですが、当時の砲台は、ここの
江田島の三高山だけでなく、宮島の鷹ノ巣山の上にも砲台があっって、
江田島と宮島を結ぶ海域に侵入して来る敵の艦船を、両側から大砲で
追い散らす作戦だったようでした。
日露戦争は、ロシアのバルチック艦隊が、瀬戸内海に入る前に、
東郷元帥の率いる日本海軍に撃沈され、日本とロシアとの戦争は終わり、
これらの場所から、一発もの砲弾も発射されずに済んだとの事でした。
三高山は地元では、砲台山と呼ばれているようです。
本日は、山登をえっちら、おっちらの記事になっていませんが、
三高山の砲台跡の見物で、知ったことは、地元に住む者として、
我々の過去の知識として知っておくことも、あり!と…思いました。
完。