Friday, 27 February 2026

江田島名峰巡り

                      2026年2月22日(日)

春の明るい陽射しがさし込む、晴天の日を迎え、本日の明日山会メンバーの

行く先は、広島湾から見える。目と鼻の先の、江田島(能美島)となります。

 江田島は、瀬戸内海に浮かぶ島ですが、結構、高い山が多く、本日の登山

お題は、「江田島名峰巡り」となります。山頂までは車で登れるので、山

から見える瀬戸内海と、点在する島々の景スポットを、存分に堪能できる。

 本日の参加メンバーは、女性4名、男性3名の7名が、2台の乗用車に分

乗して7時半に商工センターを出発。湾岸道路を超え、呉市内を通り抜け。

音戸大橋から、早瀬大橋を渡って、あっという間に江田町の町内を走行、

左に曲がって、いきなり山の登り道に入り、道路も細くなり、カーブにゆられ

ながら、狭く、厳しい山登りに差し掛かります。

運転をされている、Tさんと,Mさんが、少し狭い、舗装された山道を、しっかり、

ハンドルを取られないように運転、お二人とも、運転に思わず力が入ったとか?

車は一気に、陀峯(だほう)山の近くにある、海岸の崖の近くにそそり立つ

ごつごつした岩山、すなわち天狗岩が見えるところへ9時時半ごろに到着。

この看板を右に40mくらい、海側に小道を、
下がると
ごつごつとした、天狗岩があります。

   道幅の広いところへ車を止め、そこから少し下ったところに「天狗岩」の看板。

その看板のあるところから右に、海側にそっての崖路を暫く進むと、その先には、

ごつごつとした石コロの塊のような、大きな置物のような、岩の怪物が山肌へ

くっついているのが見えます。これが、いわゆる「天狗岩」と呼ばれ、皆に親し

まれている岩山の出っ張り岩です。

 岩の向こうには、先ほど通った早瀬大橋や付近の山々や、青く輝く瀬戸の海が、

絶景を見せてくれます。岩の間に立って記念撮影です。

              天狗岩へ、へばりついて頑張ってます。

 車を再び、走らせ、近くの陀峯山 に昇り、しばし休憩する。

そこから、更に車を三高の町や三高山へと一気に向かう。本日の本命は、

三高山にある砲台の跡を見に行くことにあります。

 三高山(401.8mh)の頂上に上り切ったところの山頂の広場に、数基の砲台の

台座の跡があり、ここに、明治時代の後期に建てられた兵舎や、大砲や砲弾を格納

した倉庫などが残っており緊迫した雰囲気が漂ってます。

 <三高山砲台の歴史>

 江田島市北西部に位置する三高山(標高401m)の地表に、ロシアとの国交

が急を告げる明治31年2月を境に、バルチック艦隊の入港を阻止するため、

広島湾一帯の数か所の一つとして、起工し2年の歳月を費やして完成した。

播州煉瓦と、いわれる独特な素焼きの煉瓦で造られた幾つかの兵舎があり、

ここには280ミリの榴弾砲6門、90ミリ速射砲4門、90ミリ台砲4門、

弾薬庫4棟、機械設備庫や大規模な旋回監視所、その他の建物が残されています。

三高山砲台は、総面積6万坪(198000㎡)あり、西日本最大規模とも伝えられ

近代の土木技術を今日に伝えています。

屋外, 人, 男, 立つ が含まれている画像AI 生成コンテンツは誤りを含む可能性があります。
この写真の場所に、大砲の発射台が設置されていた。この山頂には、
このような区画をされた、大砲の発射台の区域が、数か所あった。

 この場所で、今は亡き私の親友だった、増田君と4年前にこの三高山砲台を

訪れたとき、この砲台の陣地や設備に関して、彼が過去の様子を推測していた

ことを、思い出します。

三高山頂にあった砲兵の兵舎,
左端に、炊事場がある。

 明治時代の終わり頃に作られた砲台の基地に、これを守る兵士の宿舎が

あって、そこに何人かの兵士が泊まり込み、炊事などをして

この基地の運営と防御活動に携わったことが、伝えられています。

 増田君が頂上の炊事場の「くど」に使ってある、赤い煉瓦や、建物の壁に

使かってあるブロックなどを見て、「この場所の建設に配属されていた関係者や

配属された兵士達かなり、優遇されていたに違いない。」と言っているので、

その訳尋ねると、「特に、赤い煉瓦などは、当時は非常に高価なもので、

この辺では,簡単手に入らなかった。その高価な煉瓦をわざわざ、

山の上に持て上がって、炊事場の「くど」の構造の材料に使うのは、当時かなり

贅沢だったとのとのこと。

 このことから、当時の明治政府が広島市や、日本の本土の防衛に、如何

に力入れていたかが、良くわかるのですが、当時の砲台は、ここの

江田島三高山だけでなく、宮島の鷹ノ巣山の上にも砲台があっって、

江田島と宮島を結ぶ海域に侵入して来る敵の艦船を、両側から大砲で

追い散らす作戦だったようでした。

 日露戦争は、ロシアのバルチック艦隊が、瀬戸内海に入る前に、

東郷元帥の率いる日本海軍に撃沈され日本とロシアとの戦争は終わり、

これらの場所から、一発もの砲弾も発射されずに済んだとの事でした。

  

本日はあまり、山登りの記事になっていませんが、三高の砲台山の見物で、

知ったことは、地元に住む者として、我々の過去の知識として知って

おくことも、あり!と…思いました。                完。

 



Tuesday, 9 December 2025

 桜山〈175mh) Sakura Yama/三原市

 2025年12月7日(日曜日)           今回は中本さんの執筆です。


  今日の山は、三原市のJR山陽線三原駅北側にある桜山です。短時間で登れて、春の花見や歴史ハイキングが楽しめる身近な山として親しまれています。山頂には山城跡が残っており、三原城の「詰城」として使われたとも言われているそうです。現在は桜の苗木を植える活動が行われており、山頂までの山道沿いにはたくさんの桜が植えられています。


JR三原駅の近く、北側正面に位置する桜山(175mh)
 

駅の近くの山ということで、JRを利用して三原駅北口に集合しました。好天で、朝方は冷えましたが小春日和と言えるくらいの暖かい日になりそうです。参加者は9(5、女4)と今年の山行では最多の参加となりました。

さあ!出発!

 10:15 三原駅は三原城天主台跡に隣接しています。三原駅北口を出ると正面に桜山が見えます。城の堀を見ながら進み、突き当りを右折して東に進むと広島大付属幼・小・中学校があります。塀の端に桜山登山道の標識があり、北に進むとまた標識があって左折します。突き当りに防獣ゲートがありそれを開けて進むと、たくさんの桜が植えられた公園に入りました。そこで早くもTさんから差し入れがあり、美味しい柿をいただきながらの休憩をとった後、急なコンクリートの階段を上ります。途中に、まだ新しそうな桜山神社の小さな祠がありました。


桜山神社の祠

登山道には、一合目から九合目まで標柱が設置されているそうで、落葉を踏みながら滑りやすい急傾斜の道を登っていきます。3合目の標識辺りからジグザグの道が始まって、頂上付近まで続きます。何か所も分岐があり、右、左、上に向かって丸太の階段というところもありました。近道という標識もあります。ジグザグの道や木段の急登など複数の道が現れますが、どの道をたどっても山頂部に着くようです。


山頂から南部方面

 11:20「頂上」の標柱がある山頂部に着きました。南北に長く広がっています。南側からは三原の中心部が広がり、筆影山や竜王山、瀬戸内海の島々も望めます。山頂を北に向かっていくと池や井戸の跡、古い石積みなどがあり、昔の城跡であることが感じられます。


山頂部城跡附近
近くに大きな古井戸がある

山頂部からの眺めは良く、木のベンチとテーブルが3台、弁当を広げる。

北の端には三角点がありました。山頂部を一周して南端に戻り、温かい日差しのもと、備えられたテーブル・ベンチで各々の弁当を広げました。 

今回は、今年最高の参加者数9人の勇姿!

12:35下山は、予定では三原市街の展望が良いとされる西登山口へ降りるルートを考えていましたが、急坂で滑りやすいという情報もあり、往路を下ることにしました。足元に気を付けながらゆっくりと下山。今年最後の明日山会登山は、温かい日差しに恵まれて、楽しい一日となりました。

道の先は、今朝の出発点のJR三原駅構内の出入り口、
そこから天守台跡へ
 

最後に、三原駅構内から三原城天主台跡に上がり、改めて桜山を眺めました。

三原城天守台にある碑文

「三原城は永禄10(1567)、毛利元就の三男・小早川隆景によって、大島・小島をつないだ埋め立て地に建て始められたと伝わる。とても大きな城で、特に天守台は広島城の天守閣が6つも入る日本有数の広さがある。満潮時に城の姿が海に浮かぶように見えたことから別名「浮城(うきしろ)」とも呼ばれる。」 ー三原観光協会よりー

Saturday, 1 November 2025

土岐城山を望む(The view of the Toki Siro Mountain ) 415.6ms high above sea level

                                                                                              (  平成71026

今日登る山は土岐城山(ときしろやま)、標高415.6mの低山です。「筆の里」で知られている有名な広島県は安芸郡熊野町の盆地の中央にそそり立つ独立峰です。比較的なだらかな山で登山道は良く整備されハイキングコースとして人気の山です。

 今日の明日山会の登山仲間は、男性3名と紅一点のTさんとの合計4名のベテランメンバーで登ることとなりました。

広島市の商工センターからTさんの車に乗り合わせて9時半に出発

広島湾岸のハイウエーを東方面に行き、海田大橋を渡り、矢野の工業団地を横目に見て、県道34号線を一気に進めて、筆の里の熊野に入ります。竜王峠を過ぎたところに、道路の左側にパーキング場(下の写真)が見え、そのパーキング場の白いトタン張りの塀の向こうに、本日登る土岐城山(ときしろやま)がそびえています。

パーキング場は普通車が4~5台止日められる所で、そこにパーキングして、山登りの開始です。

塀の抜こう側にそびえる山が土岐城山(ときしろやま)です。

目の前に、土岐城山(ときしろやま)がでんと座って、我々が登って来るのを待っているようですが、地図上の登山口は、車をパーキングした場所より、さらに東北に向かった先、約1kmのところに登山口があり、進行方向も左側にあるので、そこには行かず、今来た道を少し引き返し竜王峠に向かって進んだところの右側をすぐに、入山できる階段を見つけ、そこから登ることにします。

20段の石段を登り切ったところに、小さな五輪の祠があり、その祠の横の石板には、長々とこの五輪の塔を建てられた方々のお名前と、その由来がその石板に刻んでありました。その由来は良くわかりませんでしたが、おそらく誰かの救済で、この祠を建てられたものと思われます。

ここから、登りの山道を探して行くのですが、この場所は、登山ルートの端の方で、倒木などもあり、あまり整備されてないように思えましたが、ここからの登山ルートは尾根筋を歩くように、山道が続いており、手入れがされてなくても、比較的に分かりやすいルートで、こちらのルートからこの山に挑むことにしました。

灌木や竹藪に覆われた森のなかの山道を進むと、入口から約一時間ほど歩いた所から頂上近くになり、坂道が少しきつく、段々と視界が開け周りの景色も明るくなり、頂上の大広場が突然視界に飛び込んできました。

頂上からの眺め。手前の石灯籠のような石筍は、
登山者が何かを祈念して積み上げられた

頂上には、むき出しの岩や砂地とともに、杉の林が部分的に茂っており、その杉林の下にはこの城山の守り神を祭った神社がありました。

土岐城山の頂上の神社

また、山頂広場の中央には、なんと、鯉のぼりのポールがあり、そのポールの上に1匹の鯉のぼりが風に吹かれて、ひらひらとたなびいているのが、一目で、目につきます。!

頂上の鯉のぼりの下で、集合写真。後ろの森の中に、この城山の祠がある。

恒例の集合写真を、このたなびいている鯉と一緒に撮った写真は云うまでもなく、今日のメンバーの貴重な思いでの一枚となりました。

土岐城山の山頂にある鯉のぼり

今年は柿が豊作で、山頂に実っている柿は少し小ぶりだが、黄色い実が沢山実っていました。誰かが、「今年は、東北に、お腹をすかした熊が出没するげな・・。ここの柿を分けちゃったら、おとなしくなるんかいの?!・・」と。

山頂広場の片隅には木製の横長ベンチが5脚ぐらいあり、天気の良い時にはそのベンチに寝転んでくつろぐことが、できる長さです。我々もそのベンチに座りこんで、各自、背負ってきた、お弁当を開くことになりました。

熊野の町並みを見下ろしながら、食する味は格別で、「甘いおやつの差しれを頂戴し、それぞれ美味しく頂きました。

この山頂の広場は、バレーボールができるぐらいの広さで、皆で輪になって、フォークダンスなどができますが、今日の人数では、「オクラホマミキサー」などを優雅に踊るには、ちょっと?無理かな!。

まあ、結構、遊べるところですね。

この、土岐城山(ときしろやま)については、広島県の広報によれば、ここに昔、中世の山城があり、ここから狼煙(のろし)をあげて、周囲の異変を、広島の大大名などに連絡をするための中継地だったと伝えられている。

熊を生け捕りするためのケージ

昼過ぎには、食事を終え、下山しました。下山道の出口付近の茂みに、熊用のワナのケージがあり、そのケージの戸は空いていました。傍に柿の木に柿の実が沢山ついており、熊が柿の実を餌に、うまくケージの罠にハマってくれれば良いが」と、心に念じながら、その場所から、元の我々の車が置いてある駐車場へもどり、商工センターに戻りました。(到着、pm 2:30)






Friday, 17 October 2025

有田城山 (Aritajyouzan)376.9m

2025.10月12日(日) 晴れ(まだ残暑の真夏日)     この度は高木さんの寄稿です。
                 参加者7名(M4、W3ー初山登りの女性のMさん参加)
 会として今回久々の山登り(4月以来6ヶ月ぶり)となります。(5,6月は雨で 中止  7,8月は暑さで予定組まず 9/14は残暑厳しく9/28は雨で中止)今年の 夏は猛暑連続で本当に暑かった‼今回天神嶽予定でしたが、暑さと夏バテの体力 消耗を考慮して、9/14中止とした近くて低い有田城山に変更となりました。

 北広島町千代田 ほぼ中央 道の駅(舞ロード)の北西1kmに有田城山はある。

 歴史:中世の室町から戦国時代の築城といわれる。有田氏の居城といわれる 
              有田城は広い, 豊かな盆地を一望できる小高い山の茗荷丸(みょうがまる)
          にあった。 
   旧石見街道の陰陽の要衝で栄えて来たがー 
         1517年 西の桶狭間の戦いといわれる「有田合戦」の勃発。
            安芸の銀山(現広島安佐南の武田山)城主武田元繫が西の大内氏に
            反旗を翻して、大内側の毛利、吉川と戦い圧倒的兵力の武田側が敗れて
           波乱の幕を閉じた。
        (三の丸に設置されている説明板より)

 朝ゆったりと 広島を9:30出発 高速で千代田インターへ
 途中工事で渋滞したり、有田八幡神社への入り口が分からず少しうろうろして、 予定より30分遅れで 10:50有田八幡神社横の駐車場に着く。


有田八幡神社の駐車場から、、、

 神社は下の平地かと思いきや少し登った 
 山腹の林に囲まれた所でした。

神社境内のトイレを借りる。(水出ず)。

有田八幡神社

 11:00 駐車場横の登城口よりゆったりした林の中の道を登っていく。
               
林の中の道を登っていく。


 予定では三の丸跡から回るようになっていたが、三の丸跡を見落として 、
少し、急坂を登り、頂上部=茗荷丸(みょうがまる)に到達しました。
11:15 「え!…もう頂上?到達した!。少し拍子抜け!    

           
ニューフェイスさんも入って集合写真

少し、急坂をがり頂上部=茗荷丸(みょうがまる)で集合写真


                                                                                                                      ここからは東から北東側に山並に囲まれた千代田の街並みや高速道路などが
見 渡せる。ここで集合写真。

千代田の街並みや高速道路などが、眼下に。



 逆回りでほんの少し下の本丸跡~二の丸跡~三の丸跡の広場を散策。
 三の丸跡に(有田城とその歴史)の説明板がある
 茗荷丸に上がり直して千代田の街並みを眺めながら、なごやかに弁当タイム。

 帰り 道の駅(舞ロード)に寄り下の道261号を通り2時過ぎに帰着でした。
 裏山に登るみたいなものと物足りない方もおられた、と思いますが、
 軽いハイキングで山の空気を吸い、足慣らしとして、まずは良かったと思います。

Friday, 2 May 2025

比熊山(Higumayama)広島県三次市(331M)


 比熊山(331m)                    2025.4.27(日)

   この度の寄稿者は、中本さんです。    

 今日の山は、三次市三次町の北側にある比熊山です。331mの低山ですが、妖怪物語『稲生物怪録(いのうもののけろく)』にゆかりのある、戦国時代からそびえ立つ山で、山頂には毛利家に仕えた三吉広高(みよしひろたか)の居城があったということです。

 比熊山周辺に残る「神籠(いし)」を紹介するガイドマップが完成したという中国新聞の記事を見た、当会代表の提案で今回の山行になりました。今日は、三次地区自治会によって制作された「比熊山登山&周辺MAP」に従って、山頂にある「たたり石(神籠石)」を目指すとともに麓周辺の歴史スポットを散策します。

比熊山、鳳源寺(ほうげんじ)あたりから望む。

 好天で、朝方の気温は低かったものの午後は気温が上がり、暑いくらいの日になりそうです。参加者は8名(男4、女4)。

 尾関山公園駐車場は、ゴールデンウィークが始まった日曜日にしては車が少ないようですが、まだ時刻が早いせいでしょうか。ツアーの参加者らしき人たちの姿もありました。

 9:50  尾関山公園を予定より20分遅れでスタートしました。登山マップに従ってまずはR375を東方面へ歩きます。鳳源寺(ほうげんじ)、吉祥院(きちじょういん)、妙栄寺(みょうえいじ)、西江禅寺(せいごうぜんじ)と、江戸時代の三次藩初代藩主「浅野家」に関わりがある各宗派の寺を横目に見ながら登山口に向かいます。


太歳神社(さいじんじゃ)、境内に入ると両方に砲弾が置いてある。

 10分で太神社(さいじんじゃ)に着きました。「ダサイ神社とは可哀想じゃろう」との声もありましたが、この太歳神社が今日の登山ルートのスタートになります。境内に入ると両方に砲弾が置いてあり、左側には石造りのきれいなトイレが目を引きます。正面には石の階段があり、その奥には木々の間から社が見えます。階段横の手水舎の前から登山道が始まっており、山頂まで900m、所要時間45分とあります。

 樹林帯に入り、竹林もあります。所どころに大きなタケノコがにょきにょきと立ち上がっていて、土産にしたいなと思うもののそれはできません。食べるには少し育ち過ぎているようです。

 山岳信仰の痕跡か道脇には石仏が並んでおり、中には転がり落ちた仏様もありました。小さなジグザグを15分ほど歩くと古い東屋があり、分岐を山頂方向に登っていくと赤い大師堂の建物がありました。そこから視界が開けて三次の街並みがみえます。

鳳源寺(ほうげんじ)近くの古い東屋

大師堂


山頂まで800mの表示

 一息入れて山頂を目指します。山頂まで800mの表示がありました。ここからは登山らしい山道となり、ジグザグも大きくなりました。林の中を登っていくと、20分ほどで山頂まで140mの標識があり、右上に新しそうな東屋が見えます。その東屋には帰りに寄ることにして、山頂の「たたり石」に向かいます。

樹林帯の中、なだらかな山道が続く。

 10:53 ベンチがある山頂らしきところに到着し、「たたり石(神籠石)」が鎮座していました。この辺りは、ヒノキが立ち並ぶ平地が広がっています。毛利家に仕えた三吉広高の居城跡地として「千畳敷」と呼ばれたというのが納得できます。

たたり石(神籠石)が鎮座されている。

たたり石(神籠石)の伝説


  時この「たたり石」に触れると不幸なことが起こると言われていたそうですが、そんなに恐ろしそうな石には見えません。ここからも、山に囲まれて三つの川が交わる三次市街がしっかり見渡せます。この後上る高谷山も目の前に見えました。

比熊山の山頂より。眼下には三次市街地が広がっている。


 30分ほど休憩した後、下山します。上るときに見た新しい東屋がある広場の方に回ってみましたが、ちょうど、太歳神社の禰宜がガイドされている「三次の比熊山、三つの神籠石を巡ろう」というツアーの方々が大勢おられて、ゆっくり見ることができませんでした。

妖怪東屋から見る三次市街がみえます。


 東屋の天井には地元の小学生が描いた9枚の妖怪の絵が並べてあるということで、絶景ポイントでもあります。また、この広場には、旧大師堂や井戸の跡もあります。

瑶(よう)泉院(ぜんいん)(阿久利姫)の像

 大師堂まで下り、表示に従って分岐を鳳源寺方面に向かいます。登山MAPどおり、瑶泉院(ようぜんいん)(阿久利姫)の遺髪塔、忠臣蔵ゆかりの人物の木像が展示された義士堂、浅野長治公によって建てられた鳳源寺と歴史スポットを回り、12:10尾関山公園駐車場に帰ってきました。
忠臣蔵ゆかりの人物の木像が展示された義士堂

 予定表からは10分遅れです。一服してから尾関山公園の展望台まで上がり、お待ちかねの昼食です。桜の季節も終わり、人の姿はまばらでした。

 13:10発 尾関山公園駐車場から車で最後の目的地である高谷山に向かいます。霧の町三次で、特に有名なのが高谷山490mから見る霧の海です。「霧の海が見られるのは、9月~3月にかけての早朝。特に9月下旬~11月にかけては日中の湿度が高く、より発生率が高くなる。市内中心部で、西城川、馬洗川、江の川の3つの川が合流するという珍しい地形がこの現象を生んでいる」ということだそうです。

高谷山展望台(490m)から見える三次盆地の広がり

 駐車場から200mぐらい登った広場に展望台があります。この時期、今の時間に霧の海は見えませんが、展望台から三次盆地の絶景が広がります。三次の街並み、比叡尾山(ひえびやま)など周囲の山々、三つの川と巴橋、そして先ほど登った比熊山などが一望できます。

 そして、ここで我が会のメンバーがまたやりました。ボランティア精神かはたまた性?か、ホコリなどで見辛くなった展望台屋上の案内板をウエットティッシュで磨き上げたのです。すごい! ワイワイ言いながら蕨を摘んだりして高谷山を後にしました。

 私にとっては、ほぼ1年ぶりの明日山会参加でしたが、絶好の山日和に恵まれて、各所の眺望を楽しむと共に故郷の歴史に触れることができ、何より久しぶりに会の皆さんと山歩きができたことで、さわやかな初夏の一日になりました。ありがとうございました。


〈文中の歴史スポットその他については、三次観光推進機構のサイトや三次地区自治会連合会制作のパンフレットなどを参考にしました〉


Thursday, 17 April 2025

曽場ケ城山 SobagaJyouYama 607mh/東広島市

 曽場ケ城山(そばがじょうやま)         

4月13日 天気 晴れ                 今回の寄稿は松浦さんです。

 今日は(標高607.2mh)の山、曽場ケ城山に登ります。西条盆地が広く見渡せ、大内氏の城跡が残る曽場ケ城山をJR八本松駅前(標高255mh)から 目指します。

10時30分

(スタート)JR八本松駅から正面に曽場ケ城山が見えます。

右の一番高い山が、曾場ケ城山

 駅前の国道を左に進み、七つ池右手に登山口の案内板 (木に囲まれ少し見にくい)

舗装された小倉林道を少し進むと登山道」入口です。

七つ池登山口
    
 (供養塔) 登山口から谷筋と薄暗い植林帯の坂道を20分程度登ると分岐標識が、右に少し下ると大石に供養塔と書かれた戦没者慰霊碑があり、八本松から竜王山にかけての展望が得られます。

供養塔と書かれた戦没者慰霊碑を見上げる。
供養塔の岩下の石仏像

(二の丸跡)再び分岐に帰り、岩の点在する急登をすすみます。つかの間、道は緩みますが、緩急を繰り返して、ひたすら登ると、牛の段跡。31番文殊菩薩の石仏があり、二の丸跡に出ます。ここにも29番千手観音菩薩、30番阿弥陀如来の石仏があります。

二の丸跡

(本丸跡) 二の丸跡から少し進むと、矢竹のトンネルが現れ、そこを抜けると本丸跡です。戦国時代、大内氏の山城で、南に西条盆地と東広島市が、北に八本松から志和インター方面が開け、木の間から目指す曾場場ケ城山(まだあるな)も見ました。

矢竹のトンネル林の中を、ロープをたよりに急坂を登ったり・・・

曾場ケ城の本丸跡

(山 頂)  次は頂上を目指しますが、いきなり急な矢竹林のロープの下り坂です。その後は城跡らしいアップダウンの急峻な道がつづきます、最後の急坂をロープに助けられて登り切り、やっと到着です。

馬酔木の木の向こうに西条盆地が広がる
      12時42分

 小さな広場から南北に八本松方面や山々が見られ、山桜、馬酔木、今が盛りの山ツツジの花が目を和ませてくれます。

山頂のベンチ

          歴史を感じさせる古い看板を背に、登山家6名ニッコ!記念撮影。

お疲れ様でした。
   
 (下 山) 13時22分

    登ると時には、気づかなかった三の丸跡の標識がありました。


帰路の最後は急勾配の尾根を下る。

    77歳の私にはキツイ行程で、棒になった足に鞭打って登山口に帰ってきました。

       14時40分