Saturday, 3 July 2021

白滝山(Shirataki Yama 458mh)大師山(Daishi Yama 471mh)/岩国市三和町

                              山根さんの寄稿です

2021627日(日曜日)

深更、雨音に目が覚めた。予報では曇りとなっていたが、梅雨前線が列島近くの太平洋上に張り付き、台風5号が前線を支える形となっている。やっぱり雨かぁ・・・と、気に病みながら再び寝付こうとするも、蒸し暑さもあってか、なかなか二度目の眠りに落ちなかった。

いつもより、2時間近くも遅い6時半過ぎに目覚めると、東の空には薄陽が漏れていた。急ぎ支度をする。

本日は、岩国市美和町の白滝山(4586㍍)と大師山(4715㍍)を目指す。

あの山に登るぞ 右白滝山 左大師山

大竹から吉和への国道186号線を折れ、小瀬川の人造湖 弥栄湖に架かる県境の大橋を渡って、県道116号線の最初のカーブを、案内板に従って右へ曲がり、登山口のある“岸根地区集会所”に車を駐めた。参加者は男女各2名の計4名、私の知る限り、最小人数である。

集会所に駐車

集会所のすぐ前の登山口には、白と青の紫陽花を従えた立派な『白滝山・大師山登山ルートマップ』が建っており、右前方には花崗岩の岩肌を見せて白滝山が、その少し左奥に大師山が姿を見せている。


二つの山の感想を先に言ってしまうと、案内標識の類いが丁寧に整備され誠に気持ち良く、いくつかの山の醍醐味が実にコンパクトに盛り込まれており全く驚いた。適度の高さの灌木の山道・せせらぎ・数々の奇岩巨岩・遮るものの無い眺望・輝く水面(みなも)・急峻な坂道と鎖場(実際にはロープだが)・神社御堂・路傍の石仏・・・。なんで今まで、こんな近場のイイ山に登らなかったのだろう。と、思った。

赤のAコースを歩きました

さて、予定より5分ほど早く、925分頃、東に向かい登り始める。浅い眠りだったせいか、体が重い。10分も歩くと、最初の標識。「頂上まで13㌔」とある。栗林を護って設けられた金網の柵沿いを進むと、倒れて間が無げな倒木が路を遮っていた。路は泥濘(ぬかるん)でいる。

頂上まで1010m地点

43分「頂上まで1010㍍」。小さなせせらぎを渡り、48分「頂上まで900㍍」の標識。前方の濃い緑の葉が輝いている。陽が差し始めたらしい。

山ツツジは今が咲く季節なんですね

薄紅色の山躑躅(つつじ)が綺麗だ。957分「頂上まで700㍍」の標識。南を背にして北に転ずると、「頂上まで660㍍」とある。路は乾いた花崗岩質に変わり、足首に巻いた泥除けのスパッツが不要になった。陽当たりのせいで山躑躅(つつじ)が多い。頂上をほぼ真北に臨み、しばらく進んで眼下に目を落とすと、湖岸に東屋の建つ弥栄湖の水面が光っていた。

中腹から景色が開け右側がダムでその
向こうはこちらと同じような岩山です

真砂土の坂が続きます

108分「頂上まで500㍍」の標識。同時に、巨岩が現れた。最初のメルクマールの“入道岩”である。よくよく見ると顔面は弁慶のように彫られている。

入道岩です。いいい景色でしょう

ついで、21分“五頭岩“に至る。岩の割れ目に曲がった松やらが生えている。その先には“あざらし岩”がのっぺりとした頭を弥栄湖に向かって突き出している。

五頭岩

33分「頂上まで100㍍」の標識。2分後、“旗立岩”とある。なるほど、10数㌢四方の四角い穴が二つ穿(うが)かれていた。

旗立岩

1037分、白滝山頂上に着く。所要時間は1時間10分強。登山口から1400㍍ほど歩いた。この頃になると、すっかり日差しが

頂上はもう少しです

強くなり、首筋の後ろが焼け、大いに喉が渇く。体が未だ暑さに慣れていない。

頂上の平坦な地面に据えられた方角板には、北北東に三倉岳(その少し右奥に大峰山)・北東に黒滝山・北西に大師山と羅漢山・南西に権現山と刻まれていた。黒滝山は特定できなかったが、南に目を転ずると、弥栄湖に架かる白い斜張橋が美しかった。

.ダムをボートが旋回し波紋が綺麗です

下の赤瓦の所が駐車した集会所の所です

三倉岳


白滝山頂上にて

次は谷の向こうの大師山

記念写真を撮り、1045分、早速、大師山に向かう。53分、“雨乞岩”へ。巨岩が重なり合い、ひとつの岩には大きな文字が刻まれている。『魔』とも『塵』とも読めるが、定かではない。

雨乞い岩 綺麗でしよう


これが大師山、100m少し下り又登ります

続いて、56分に“千人崩れ”。11時には、左手(西)に「白滝城跡・白滝水神社・鏡池」の標識へ至る。一旦、神社と鏡池の方へ入り込んだが、どうも様子が違い引き返す。直後、西に方向を転じ、脇に太い金属の鎖の張られた路を大師山へ向かって下る。


日本庭園  どこが日本庭園なのかよく解りません

1110分、鞍部に至り、上り返しとなる。“日本庭園”や“見晴岩”を経て、1120分、そのまま西に向かえば「大師山」、左手(南)に折れて下れば「白滝山グランド」との、分岐(わかれ)に至る。後者のルートは、この後の急峻な路を避けたバイパスである。2分後、大師山へ250㍍の標識。

ウサギ岩

1134分、“ウサギ岩“との木札有り。これは、後で頂上から眺めると、耳を後ろに寝かせたウサギそっくりの岩だとわかった。

三倉岳の右側は大峯山です
1138分、大師山頂上に到着。登り始めてから2時間10分強。白滝山山頂から1100㍍ほど歩いたか。予定よりかなり早い。三倉岳と大峯山がより、近くに見え、振り返ると、白滝山の岩肌が手に取るようだった。昼食を摂り、ここでも記念写真を撮す。

さて、帰路は“大師山八十八ヶ所参道”を下ることになる。1229分に出発。下山路の最初の標識は“くぐり岩”とある。

くぐり岩 潜った向こうの岩が登りにくい岩でした

だが、ここから大変だった。懸命に伸ばして降ろす爪先(つまさき)が容易に届かぬ段差。そしてまた、段差。同じ箇所に幾本も張られたロープ。ストックは邪魔なばかり。体を(ひね)り、腹ばいになり、体全体を使っての悪戦苦闘の下山である。

大師山を下りる時、1ケ所こんなロープ
なしでは下りられぬような急坂あり

しかし、路傍にそれぞれ工夫して安置された、大小さまざまな幾つもの石仏さまが、そうした私たちを励まして下さっているようだった。

下山中腹に88ケ所巡りの石仏あり

1242分、最後の難関“くぐり岩”を、リュックを降ろし、体を(よじ)り、脚を突っ張って通り抜ける。


東屋    下山はもう少しです

大師堂
50分、「参道入口」の標識。東屋(あずまや)に至り、その右手奥の“大師堂”に参り無事を感謝する。

大師像石像 ここからお参りし
88ケ所巡りをされるのでしょう


13時ちょうど、鉄階段を下り、林道に出る。その脇の小高い位置に、立派な大師様が立っていらっしゃった。

大師山山頂から距離にして350㍍ほど、標高差320㍍ほどを、わずか30分で下ってきたことになる。きつかったぁー。


この鉄階段を下りると山道は終わり、
車道を集会所に帰ります      

ここからは、岸根川沿いに舗装された林道を南へ900㍍ほど下れば、出発点の“岸根地区集会所”である。道々、幼少を田舎で育った身とて、(わらび)を抜き取り、野苺を摘まみ、(ふき)を採って、そぞろに歩く。

1320分、登山道入口に戻る。所要時間4時間。万歩計を確認すると、9000歩に満たない。普段の散歩よりも随分と短い。歩行距離、推定4000㍍ほどだ。

集会所から白滝山を返り見すると、白い雲と青空を背にして穏やかに座っていた。

小瀬川(弥栄湖)の西岸にいきなり聳え立ち、東の山裾の岸根川までの東西間は2㌔に満たないだろう狭いエリアに、趣の異なる二つの秀峰。チョウベリーグーな山行だった。

それにしても、私たち以外の登山客は、少し前に出発した女性二人組と、後から出、追い越していった男女二人組だけだった。不思議だ。

了。







Friday, 30 April 2021

三本木山・藤ケ丸山・立石山(広島県緑化センター)Sannbonngi Yama.Fujigamaru Yama.Tateisi Yama

4月25

 天気は晴れ、気温は暑くもなし寒くもなしで絶好のハイキング日和です。

 本日、登る山は広島市東区福田町の「広島遊学の森広島県緑化センター」の周辺を取り囲む三つの里山。

広島遊学の森広島県緑化センターの案内板

 三本木山(486m)・藤ケ丸山(665m)・立石山(500m)の三山を周回するコース。最初3月の終わりと4月の始めの日曜日を予定していたが、どちらの日にちも天気が悪く、本日は三度目の正直で実現しました。

大手毬(おおでまり)の白いカレンな花が咲いている。


 出発点の緑化センター第3駐車場辺りが約300mhだから、高低差は200300mぐらいの差だとタカを括っていたが、どっこい、山道は整備されているものの、長めの急登坂があったりして結構ボリュウムのあるコースです。

本日の天気は上上、絶好のハイキング日和

940 本日のメンバーは10人。緑化センター第3駐車場から出発。

少々、暑くなってきたので上着を脱ぐ

950 園内第三駐車場の近くの三本木山の登山口を見つけ、そこから、すぐに尾根筋にたどりつく。尾根の両サイドには低い灌木など雑木林が続き、木々の合間から近くの山々が見える。


10:55 やがて高圧の送電鉄塔の下を抜けると、すぐに三本木山の山頂です。

高圧送電線が尾根道を横切っている

1100 三本木山山頂(486m)到着。見晴らしはあまりよくないが、木々からこもれる日光の下にて記念撮影を済ませ、来た元の道を引き返し、次の山へ。

三本木山山頂(486m)にて記念撮影


11:30 周辺の景色を楽しみながら、緑化センター第5駐車場へたどり着きました。

1140 近くの藤ケ丸山登山口から登山開始ここで、以前足を痛めておられたTさんには、あまり無理ができなないので、ここで、みんなとは別行動で園内の第3駐車場に行ってもらい、我々の下山をまってもらうことにしました。

急登が続く坂道、黙々と足を運ぶ

 山道は少しずつ傾斜角がアップし、10分もすると先へ進む人を下から見上げる急登坂にさしかかる。およそ30分間、ひたすら上へ上へと一歩一歩ゆっくりと登ります。

ボツボツ頂上かな?

AM1220 藤ケ丸山頂(665m)に到着。山頂からは南に海田湾や北西に八木の阿武山や可部が見える。

山頂の風景:


ここで、約30分の昼食休憩をとり、記念撮影。

藤ケ丸山(665m)の山頂にて記念撮影

1255 本日、最後の立石山に向かう。道は尾根伝いに進み、山を下るようなので楽に行ける。苦あれば楽ありか!山道の両サイドの木々の緑や鳥のさえずりを聞きながら、尾根筋歩行を楽しむことに。

立石山方面は右に

藤ケ丸山から緩い下りの尾根を行くと立石山

両サイドの木立の緑が鮮やかだ!

14:05 立石山山頂(500m)に到着。本日3回目の記念撮影をして下山しました。
立石山山頂(500m)にて記念撮影

1436 Tさんの待つ緑化センター第三駐車場に到着です。

 急登では少しシゴかれたましたが、お天気も良く、尾根のプロムナードを進むと、両サイドの鮮やかな新緑の葉と、小鳥のさえずり、木立の隙間からもれてくる遠くの山並みや里の風景も見えて、ハイキングとしては最高の雰囲気を満喫できました。園内に咲いていたオオデマリの花言葉に「優雅なたしなみ」がありますが、「優雅なハイキング」でした。来て良かった!。

Wednesday, 2 December 2020

新高山・郡山 (Nitakayama・Kooriyama) 城跡巡り 


20201122

 今回は増田さんの寄稿です。

 よく晴れた青空のなか 殿3方 姫3方、が2台の車に分かれて8時に商工センターを出発。

目的地は標高197・6M 三原の新高山、昼からは標高390M比高190M 安芸高田市の郡山。明日山会始まって以来の低山である。

9時過ぎに本郷新高山登山駐車場に到着するとそこには、車・バイクが沢山駐車してなんか大変活気がある

目の前にそそり立つ新高山(にいたかやま)

(続日本100名城)の幟がたててあり観光協会の人の姿も見える。

目の前にそそり立つ山が新高山、沼田川を挟んで東が高山。

私(M)は神社仏閣巡りと歴史由来ものが大好物で山登りはその付属のような感じである。

足腰が衰えたのでその言い訳にしかすぎないのですが“..

まず登るまえに本郷 沼田 吉田 の歴史を1516年から1555年の間を見てみましょう

 これによっておもしろさが10倍になります。

 1516年は安芸の半国守護武田氏と毛利氏・吉川氏との戦いで圧倒的に少ない兵の(毛利氏・吉川氏)が勝利をおさめ毛利の名が広がります。

(西の桶狭間の戦い)有田 中井手の戦い

 1523年は尼子氏と大内氏の戦いが東広島西条鏡山城でおこり尼子側についた毛利氏の活躍で尼子氏が勝利をおさめます。(鏡山城の戦い)

 毛利氏の活躍を目前にした大内義興は毛利氏に大内同盟に加わるように働きかけ毛利氏は尼子同盟から離れます。

 1540年 毛利氏は郡山城の戦いで尼子氏を打ち破り一躍戦国大名になる。 同じ年に竹原小早川当主が戦死し元就の兄の娘の嫁ぎ先でもあり元就の活躍を見込んだ竹原小早川家が当主を依頼してきます。

 元就は3男の隆景を送りこみます。

 一方小早川本家のある沼田地区は大内と尼子が激しくぶつかりあう場所で激しい情報戦が繰り広げられ、当主が目を患い病弱のうえに尼子氏に味方するグループと大内氏に味方するグループにわかれ、内紛状態にありました。

 そのようななかで大内氏が親毛利派の乃美氏に働きかけ分裂を引き起こします。小早川隆景を当主の妹の婿にして先の当主を謀反の疑いで追放したのです。

1551年 小早川隆景 高山城に入城。

1552年 小早川隆景 沼田川(ぬたがわ)の対岸の新高山に根拠を置き、そこに新高山城を築くのです。

城完成後、直ちに旧勢力を一掃し毛利系小早川氏に塗り替えました。源頼朝義経の有力武将で鵯越えの合戦で大活躍した小早川一族がここに消え去ることになる。

 さてそれでは小早川隆景の築いた山城跡のある新高山に登りましょうか。とまれ、またまた脱線 新高山は(ニイタカヤマノボレトラトラトラ)の暗号文と同時に当時の日本の最高峰の山と同名であったいまは台湾にある。

 それでは登ります 。

9時半駐車場を出発右に神社を拝みながら5分ほどで階段になる

ニイタカヤマノボレ」の合図でワッセ、ワッセ

道はびっしりと落ち葉で埋もれていてクヌギの木のとげのある葉で、ドングリもイガイガに囲まれ強そうな感じである階段正面に大きな案内版がある。

その下に続100名城のポスターが張ってありスタンプラリーの案内もある本郷町の町お輿の シンボルなのであろう。

史跡、小早川氏新高城の跡の看板 

5分ほどで番所跡に着く大手道を警備する門で3か所ほど造られ、その西側に元就と正室妙久を弔う寺院がある。 毛利一族の城であるとの意味が込められているのだろう。



カエデクヌギの紅葉

そこからすぐに中の丸跡 本丸跡となり展望の良い 詰の丸あとに到着したのが10時20分音声案内が絶えず響き、絶えず登山客がいる。


集合写真を撮り、ここから眺める景色は素晴らしい

本丸跡でニッコリと一枚


向かい山は高山その間に流れる沼田川が三原の海に向かって白くながれている

                                     高山と三原の先にしまなみの大橋が見える。

 当時は海水が山裾まで入りこんでいて船の出入りがあり市場がたって繁栄していたようだ。

沼田川が白く光って三原の海に続く

 山の下に目をやれば、高山と新高山の腹を新幹線が走り、その下をJR山陽本線が走っていて、こんな展望はほかにはない。

谷間には、山陽新幹線とJR山陽本線が交錯している

貨物列車が丁度、新幹線の下を通過 



 この山は巨岩で囲まれ石鉄権現の摩崖仏が彫り込まれ力強い守護神が立っているのもいい。石鉄権現はたぶん石鎚権現のことと思うが..。

 


石鉄権現の摩崖仏さん 


石鉄大権現さん

10時半新高山の下山開始。

新高山駐車場に11時過ぎに到着。直ちに、郡山に向けて出発。

郡山公園駐車場で直行のMさんと合流12時半公園の四阿家で昼食をとる。


 ここら辺で昼食

 いつも沢山のデザートの提供があってこの会は家族的でいいなー。

 この吉田郡山城跡はあまりにも有名で、

 1540年吉田郡山城の戦いで、尼子軍3万に対して毛利軍2千 大内軍の援軍をうけたが尼子軍に勝利して毛利の安芸戦国大名の地位を築く。

毛利元就公の墓所山道

日本100名城で有名 百万一心は、郡山城を築くにあたり人柱をたてる代わりに、石に百万一心と書いて埋めたといわれている。

釣井の壇の井戸跡

 

百万一心の石碑

人を大切にした元就の証として語り継がれている。サンフレッチェ広島のシンボル三矢の訓えも有名。

 長男毛利隆元は本家を継ぎ次男元春は吉川家の当主になり安芸、石見を支配し、

3男の隆景は小早川水軍を率いて1550年厳島合戦を勝利に結びつけた。

 桶狭間の戦い 鵯越えの戦い 厳島の戦いを 日本3大奇襲合戦という

 養子縁組人質乗っ取り 情報操作 戦のみに生きた毛利一族 豊臣秀吉の血縁者小早川秀秋の裏切りによって負け組になった毛利はこの郡山が原点であった。

 

毛利家の旗印

 平和にいきて暖衣飽食言いたい放題で責任の問われない現代と自分を見つめて

 いい時代に生まれたと運の良さを思うのであります。

  

本日も無事終了、雨がぽつぽつ。

下山ご駐車場に到着は3時雨が落ちてきた。

 事務局の綿密な予定表は他の山の会のことは知らないが相当に自慢できることではないかと。またブログ作成している方には頭が下がるおもいである。