Sunday, 26 May 2019

東鳳翩山 (Higasi Houbennzan)734.2m


今回の寄稿は山根さんです

令和元年5月19日(日曜日)

今日は、山の会として令和最初の山行の日で、山口市と萩市にまたがる新百名山の一座、“東鳳翩山(ひがしほうべんさん)734.2m”に上り、山頂手前の主尾根鞍部よりショウゲン山分岐まで下山し、さらに板堂峠から六軒茶屋に至る“萩往還”を巡る山行である。
“瑠璃光寺”五重の塔
出発は午前8時、予報とは違って良く晴れ渡り、まさに氣淑(きよく)(かぜ)和らぐ(やわらぐ)立夏、絶好の山行日和、と思いきや、山陽道を西に下り、防府東ICを降りる頃には雲行きがあやしくなってきた。
2台の車に分乗した女性2名・男性7名の我々は、山口市に向け国道262号線をやや西寄りに斜めに北上し、国道9号線に突き当たって左折、すぐに右折して県道62号線へと入る。五重の塔で有名な“瑠璃光寺”は目と鼻の先である。
錦鶏湖北端の“一の坂ダム運動公園”の駐車場に到着したのは、9時28分。2台目の車両はそれから遅れること約10分。先頭のKTさんの運転は、いつも巧み?だ。
“二つ堂”コースの入り口付近で準備体操
時折降る雨の中、急坂を進む
登山道は、(てん)()畑バス停前からの“二つ堂”、錦鶏の滝からの“ナマナマ”、西鳳翩山からの“縦走”と、いくつかのコースがあるようだが、今日は、ファミリーとされる“二つ堂”コースを、5時の位置を始点と終点に、時計廻りに巡る予定だ。

今日明日にも始まりそうな田植えを待つ、水を張られた田圃の脇のアスファルトの道を歩き始めた9時42分には、ポツリポツリと雨粒が落ちてきた。道路脇には上天(かみてん)()町18の表示。五月雨や、濡れて行こうである。
割と急坂の道を上ること約20分、10時3分に、二つ堂コース登山口の表示の立つ山際の石段に取りつく。山頂まで80分とある。今日は、ブログの原稿の書き手を仰せつかっているので、殿(しんがり)をつとめることにする。
道幅はほどよく、歩きやすい
山口県有数の人気の山だけに、早々に下山する登山者とすれ違う。以降、山頂に至るまで数多くのグループに出会うこととなった。
緑の天幕が、雨粒をカバーしてくれる
杉、檜、松などが目立つ雑木林の中を、所々が薬研状に掘られた急な坂道を登ること30分、最初の休憩を取る。
休憩中もパラパラと雨が…
Mrs.Tさんから配られた林檎を頬張る。おいしかった。いつもながら、感謝!
木立の間に、三つと四つの花弁の白い花の木が印象的だった。植物博士が名前を調べておくとのこと。
休憩地点から少し進むと左手にベンチがあった。一息入れるならここの方が良かったか。
10時53分、錦鶏の滝へ40分(ナマナマコース・悪路)の白い標識を確認。道には通行を遮るロープが張られていた。
この頃になると、雨脚が少し強くなってきたので、合羽やヤッケを羽織、リュックにカバーを掛けた。風も出てきた。しかし、雨雲は陽の光を感じさせる明るさがある。幸い、本降りとはならないようだ。おまけに、繁った木々の枝葉の雨傘がある。決してずぶ濡れにはならない。
丸太で、うまく道の縁の流失を防いである

11時3分、二つ堂登山口まで30分の標識がある。登山口は10時3分だったので、倍を要した。随分とゆっくりとしたペースだ。先頭グループはとうに通過した筈である。
ところどころに急な丸太の階段が続く
道々、鳳翩山とはなんと小難しい名前を付けたもんだ、さすが山口(かなり理屈っぽく、地方の割にどことなく雅)だ、とTNさんと話す。帰ってネットで調べると、昔、東鳳翩山は「こしきか嶽」、西鳳翩山は「方便山」と呼ばれていたらしく、「方便」が「鳳翩」となったのは、周防の儒学者、片山鳳翩からとったものとのこと。(ちなみに“(ぺん)”とは、ひるがえること。よって、空を舞う鳳凰との意味か?)
頂上はもうすぐ
山頂付近には、カキツバタがお出迎え
ツツジ
カキツバタ
所々、木製の階段の点在する急な道を登ること20分、11時23分に主尾根鞍部に辿り着く。白い文字が薄くなった、やって来た天花畑・目指す東鳳翩山・下山する板堂峠の3方向を指す標が立っていた。その先に設けられた温度計は17℃だった。山頂までもうすぐである。
アザミ
足を急がせると、南よりの風がさらに激しくなってきた。道の脇には、ツツジ・アザミ・カキツバタが可憐な姿を見せる。
11時40分、そこだけ眺望の開けた左手には、眼下に雨に煙る錦鶏湖が光り、遠くに山口の街並みが見えた。頭上を轟轟と風が渡り、若葉が千切れんばかりに吹かれている。体感温度は相当下回っている筈だ。
先頭グループが未だか未だかと待つ山頂には、11時45分にやっと到着。標準より20分は長くかかってしまった。
山頂風景、北の方角
山頂からは、雨にかすむ山々(東に十種ヶ峯・ショウゲン山・青野山、北に男岳・桂木、西に数本の鉄塔が建つ西鳳翩山)が望めた。
寒さに震えながら集合写真を撮り、昼食は主尾根鞍部に戻って摂ることにし、早々に発つ。
山頂は風が強く冷たい、早く!
各自、強風を避けるように点々と座り、弁当を使う。食後には、今日は不参加のMrs.Mさんからの差し入れの菓子を頬張る。サンキュウッ。
ショウゲン山分岐、板堂峠へ

12時31分、帰路のショウゲン山分岐から板堂峠を目指し、主尾根鞍部に合流している中国自然歩道を上り始める。
13時01分、「東鳳翩山1.5km・板堂峠1.4km」、13時09分、「東鳳翩山1.7km・板堂峠1.2km」の標識在り。

「東鳳翩山1.7km・板堂峠1.2km」の標識

中国自然歩道は道幅も広く、良く整備され、気持ちがイイ。この頃から、未だ小雨は続いてはいるが、空がより明るくなり始めた。
板堂峠への道程を、13時14分に1.0km、13時33分に0.4km、13時36分に0.2kmと標識を確認しながら、アップダウンを繰り返しながら、徐々に下って行った。
13時43分、“萩往還”中最も険しいと言われる板堂峠に到る。この頃になると、風はすっかり止み、雨も上がった。
板堂峠にさしかかる
そこから木製の階段を少し下って、石畳に入る。会長から足を取られぬようにとの注意。“萩往還”は承知の通り、毛利候が参勤交代の為に築いた、萩城下から三田尻港(防府市)までの約53kmの御成り道で、幕末には勤王の志士達も往来した歴史の道である。
萩往還の道、険しい坂を下る、笹の葉があって滑りやすい
注意しながら石畳を下ること5分、13時51分に洒落た鮮やかなブルーの標識に出会う。「天花畑まで2200m」とあった。その後すぐに車道に出、そこを渡って、山肌に張り付いた石段を上り、再び“往還”に戻る。
キンチジミの清水
14時3分、“キンチジミの清水”に着く。「天花畑まで1500m/六軒茶屋跡まで800m」とブルーの標識が教えてくれる。いよいよ、“四十二の曲がり”に差しかかるらしい。

曲がりくねる“往還”を下ってゆくと、14時12分に“一貫石”、14時21分に“一の坂一里塚跡”に出会う。
この先から六軒茶屋跡までの石畳は急勾配で、両脇の竹林から降り積もった、濡れた竹の葉がよけいに歩きづらさを増幅する。『降りて下され旦那様』と駕籠が言ったとの逸話を、後で、ネットで知った。なるほどぉ。
14時32分、六軒茶屋跡(御建場跡)に着く。    昔、六件の農家があり、軒先を茶屋にして旅人をもてなしたとのこと。今は、毛利藩の参勤交代の休憩所としての建物群が史跡として保存されている。
藩主とおつきの方々の行列の、しばしの休憩所
さらに石畳の道を30分ほど下ると、山口市側からの“萩往還”入り口に着いたが、安心したのか、滑って思わず尻もちをついてしまった。
先頭グループが、その先の農家の軒先で我々殿組みを迎えてくれる。どうやらIMさんが、腰かけて煙草を吸う農家の方にしきりに話しかけている。長身の日焼けした映画に出てきそうな渋いイイ男だった。「なんでこんなキツイ往還なんか作ったんやぁ。往還入り口の四輪は乗り入れんでくれの注意なんか要らんことよ。誰が入るもんか」と大文句をこの人に言っとたんよ、とIMさん。さすがぁ。おっしゃるとおり。でも、しかし・・・。実際、機械(キャタピラのことらしい)が入らんとのことだった。
“萩往還”入口から、縦一列に並んで歩くこと5分、15時09分に県道62号線に出る。終点も近い。15時19分、車を停めおいた“一の坂ダム運動公園”に到着。総時間、5時間35分の山行だった。
少し雨風にたたられたとは言え、山はキツクも無く呆気なくも無く、山頂からの眺めは抜群、そして、往還は歴史を肌で感じることができ、素晴らしい一日だった。
瑠璃光寺の大内弘世公にも、我々を見送っていただく
帰路、「折角だから」とのTMさんの発声で、瑠璃光寺にちょっとだけ立ち寄って大内文化の香りをひと嗅ぎし、山陽道を一目散に広島へと急いだ。
了。

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