Saturday, 6 July 2019

久住連山(ミヤマキリシマのお花畑へ)Kujyuu mountain range

香口さんから投稿
久住連山遠征登山
R1.6.6-6.8
6月6日

5:00  今日から待ちに待ったミヤマキリシマ乱れる久住連山への遠征登山です。

早朝の壇ノ浦PAより門司港を望む
壇ノ浦PAで一休みし、ここで朝食をと思ったが店はまだ開いておらず、仕方なくトイレ休憩のみで出発する。
次は由布岳PAで一休みし、湯布院で高速道を下り、朝食と昼の弁当を調達するためコンビニを捜すが全くなし・・。



.由布岳が間近に見える由布岳PA

10:30 長者原に到着し、食堂も併設したみやげ物で弁当は無いかと聞くと無いと言うので朝昼兼用の食事をし、パンが有ったので皆買う。

   本来の計画は牧ノ戸峠から久住山・中岳に登り法華院温泉で泊り、あくる日平治岳のミヤマキリシマを見て長者原に出る予定だったが2日目が雨との事で急遽1日目と2日目を入れ替え長者原から平治岳に登り花を見て宿に入ることにする。
       
11:00 腹ごしらえをして長者原を出発し気持の良い草原を歩くが花は無い。雨ケ池越え入口では山届けをポストに入れる。

タデ原は気持ちが良い


登山届けを入れ一休み

山道に入ると見通しは効かず、丸い石と黒い土の歩きにくい道をひたすら歩く。


黒い土に丸い石で歩きにくいー


      雨ケ池は雨が少ないのか池には水は無く花も少ない。しかし木道の下に可愛いフテリンドウが姿を見せている。
      もう少しするとキスゲやノハナショウブが咲き乱れるのだろうが・・。

雨ケ池は木道を歩きます

フデリンドウ

雨ケ池を通り抜けるとピークに出て坊ガツルと大船山や平治岳が一望できる。遠めにも山頂付近が赤く染まっていて気分も高鳴る。しかし悪路には参る。

13:45 やっと出ました坊ガツル。坊ガツルの東には今から登る平治岳、南には大船山、西には久住連山の最高峰中岳や三俣山が見える。

やっと森を抜け坊ガツルに出る

平治岳は上部がピンクに染まっている


14:16 さあ、ここからがミヤマキリシマが咲き乱れる平治岳への登山口です。

平治岳をバックに写真を1枚
   
      ここで平治岳をバックに写真を撮る。(ブログ作成者と先を急いだ一人が不在)森に入ると視界はなく、黒いぬかるんだ道で歩き難い。倍時間が掛かる感じがする。

15:00 やっとの思いで平治岳の麓の大戸越(うとんごし)に到着する。
   視界が開け、見上げればミヤマキリシマが山を覆い圧巻だ。疲れが一遍に飛んで行く。

大戸越からの南峰

上り専用の看板、草に覆われ見えにくいかも・・

花が道を塞ぎ登りにくい

      混雑を避けるため上りと下りの道が決められていて、南峰へは150mばかり登るのだが、道は思いのほか急で狭く、途中でザックを置いて登れば良かったと思ったが上り下りの道が違うので今更置いても行けずザックを担いで急登を喘ぎながら上る。振り返れば花の向こうの大戸越に人が小さく見える。


振り返ると花の下に人が小さく見えます

南峰はミヤマキリシマに包まれ、北の平治岳へは花で埋めつくされている。ここから平治岳の頂上へは割合容易に登れる。

平治岳頂上にて

南峰で余裕の二人


南峰より平治岳を望む、美しいー

A man is in the flowers. Who's that?

 みごとなミヤマキリシマが一面に咲き誇っている

15:45 念願の平治岳(1,643m)の頂上に到着。通年登っている人から今年のミヤマキリシマは事の他見事だとの話しも聞く。頂上ではゆっくりし、花を楽しむ。若い女性の二人連れに写真も撮って戴く。全員の写真が撮れれば良かったのだが・・。
   南峰に戻るとM氏が下山道を登って来られる。M氏によると途中から道を間違えたのは解ったが引き返して登るのも大変なので謝りつつ登って来たとの事。皆気持良く許してくれ、山に来る人は良い人ばかりだと言っておられた。

Mさんが見たミヤマキリシマと山風景の一枚

16:15  M氏はちょっと頂上まで行って来ると一人で行かれ、三人は南峰を下山開始する。大戸越でY氏がM氏を待っているとのことで、二人は来た道を又難儀しながら坊ガツルに戻る。坊ガツルには皆が揃っていてM氏との連絡が取れないとの話しになっている。そこに遅れて二人が降りて来てまずは一安心。

サワオグルマ

見落としていたが坊ガツルにはアキノキリンソウに似たサワオグルマが沢山咲いていた。

17:55  やっ法華院温泉に到着。



      お風呂の入口にはビールの自販機があり、早速ロング缶を求め先程登った平治岳を見ながら飲む。至福の時間。

      少し休み夕食となるがとても小屋とは思えない立派な食事。又ここでもビールを飲み、明日の6:30の朝食と8:00出発時間を確認し、気持の良い風呂に入って就寝


6月7日

6:30  夜中から降り始めた雨は風も伴い横殴りの雨となり、今日の中岳・久住山に登り牧ノ戸への山歩きは大変な様相。情報を集めると昼過ぎには少し雨脚は弱まるものの雨との事で今日のスケジュールをどうしたものかと思案する。

強い風に大雨・・、ガックリ

山小屋の朝食の風景
   久住分れあたりは昨日も靄っていて景色は堪能できなかったとの情報もあり、今日のコースを歩いてもしんどいだけで山歩きは楽しめそうもないので昨日車を停めた長者原に戻るのが最善と決定する。
それでも計画通りに行動されるのか沢山の人が朝早くから食事している。
   私達は朝食を済まし8:00に集合するが雨が強いので出発を暫し遅らせる。

9:10  雨の中を長者原へと出発する。
   ここからカメラが防水ではなく写真を写していないので時間経過も解りません。只来た時と違って黒い土が泥になっていて汚れない所を捜して歩くのに大そう難儀する。幸いなことに雨ケ池辺りで雨は殆ど上がる。

12:20 長者原に到着し二人が牧の戸に駐車した車を取りに行く。
皆合羽のズボンを脱ぎ、靴を洗い、車中にて山小屋で作ってもらった弁当を食べる。
これからの時間は何の予定もなく、明日の予定を繰り上げ竹田市の岡城址・原尻の滝に行くことにする。
   明日は道の駅に寄る時間がないだろうからと岡城跡に向う途中の道の駅に寄り土産はここで調達する。

15:20 岡城跡は以前来たことのある城跡なのだが、改めて見ると誠に堅固な要塞のような城跡だ。
岡城跡 入口

   7万石のお城とは思えないような規模で島津藩の大軍を持ってしても攻略できなかったのも頷ける。晴れていれば久住連山や阿蘇も見えるとのことだが残念ながらその姿は見えなかった。しかし南東の方向には祖母山と傾山が見える。
   『荒城の月』は滝廉太郎がこの城址をイメージし作曲したと言われている。


滝廉太郎の像があるところの石垣
16:35 原尻の滝は幅120mもあり東洋のナイアガラと異名をとる滝で、以前TVでこの滝のことを放送していて、見たいなと思っていた滝です。雨上がりなので水は濁っていたが、水量もあり圧巻です。水の豊かな地区なので何時もは水量もある綺麗な滝なのだろう。

東洋のナイアガラ、原尻の滝

   滝の上には生活道路の沈下橋があり、鳥居も見える。信仰の滝なのかも知れない。

上部は生活の臭いがある

18:00 ナビが無いと行けないような山道を通り奥阿蘇の宿やまなみに到着する。



   日本秘湯を守る会の提灯が感じ良い。汗を流して夕食となるが食べ切れないような食事が出て今回の山行を振り返りながら楽しく食事する。もちろんお酒も戴きました。

6月8日

8:00  今日は帰り道の宇佐神宮を観光し、後は帰るばかりなのでゆっくり温泉にも浸かり朝食とする。朝食も立派で、漬物のバイキングも用意してあり、ご飯のお変わりをする人続出する。
驚きのつけものバイキンク

11:20 宇佐神宮では宇佐市に住んでいるアスティOBA氏が出迎えてくれ、説明しながら案内してくれる。大分県出身の村山富一氏と同様真っ白な眉毛がピンと立ち、とても印象的な風貌だ。

   大分県の人は皆こうなる訳ではないだろうに・・。



  
   お参りは一般的には二拍手だが、ここでは二礼四拍手一礼にて祈願する44000社ある八幡宮の総本社となると他と一緒では格好付かないのか・・?





   A氏は別れる時おみやげまで用意してくれていた。私達のグループに彼と同期の者が二人居たのだが、二人だけに渡すのは気が引けたのだろう。優しいねぇー。



皆、はい笑ってー

13:10 宇佐市を後にし、安全運転にて帰途に着く。朝腹一杯食べたのであまりお腹もすかないので、途中のめかりPAで軽く食べ計画どおり17:00頃広島に着く。

   今回は雨で計画の変更を余儀なくされたが、目的の平治岳のミヤマキリシマは堪能でき、総括すれば大満足の九州遠征登山だったと言えるだろう。ただ初日が計画を変更したので時間的に少し窮屈で、全員頂上の花に囲まれなかったのは残念。しかし頂上を極められなかった人も、大戸越で山いっぱいのミヤマキリシマが見れ、良しとしよう。


Sunday, 26 May 2019

東鳳翩山 (Higasi Houbennzan)734.2m


今回の寄稿は山根さんです

令和元年5月19日(日曜日)

今日は、山の会として令和最初の山行の日で、山口市と萩市にまたがる新百名山の一座、“東鳳翩山(ひがしほうべんさん)734.2m”に上り、山頂手前の主尾根鞍部よりショウゲン山分岐まで下山し、さらに板堂峠から六軒茶屋に至る“萩往還”を巡る山行である。
“瑠璃光寺”五重の塔
出発は午前8時、予報とは違って良く晴れ渡り、まさに氣淑(きよく)(かぜ)和らぐ(やわらぐ)立夏、絶好の山行日和、と思いきや、山陽道を西に下り、防府東ICを降りる頃には雲行きがあやしくなってきた。
2台の車に分乗した女性2名・男性7名の我々は、山口市に向け国道262号線をやや西寄りに斜めに北上し、国道9号線に突き当たって左折、すぐに右折して県道62号線へと入る。五重の塔で有名な“瑠璃光寺”は目と鼻の先である。
錦鶏湖北端の“一の坂ダム運動公園”の駐車場に到着したのは、9時28分。2台目の車両はそれから遅れること約10分。先頭のKTさんの運転は、いつも巧み?だ。
“二つ堂”コースの入り口付近で準備体操
時折降る雨の中、急坂を進む
登山道は、(てん)()畑バス停前からの“二つ堂”、錦鶏の滝からの“ナマナマ”、西鳳翩山からの“縦走”と、いくつかのコースがあるようだが、今日は、ファミリーとされる“二つ堂”コースを、5時の位置を始点と終点に、時計廻りに巡る予定だ。

今日明日にも始まりそうな田植えを待つ、水を張られた田圃の脇のアスファルトの道を歩き始めた9時42分には、ポツリポツリと雨粒が落ちてきた。道路脇には上天(かみてん)()町18の表示。五月雨や、濡れて行こうである。
割と急坂の道を上ること約20分、10時3分に、二つ堂コース登山口の表示の立つ山際の石段に取りつく。山頂まで80分とある。今日は、ブログの原稿の書き手を仰せつかっているので、殿(しんがり)をつとめることにする。
道幅はほどよく、歩きやすい
山口県有数の人気の山だけに、早々に下山する登山者とすれ違う。以降、山頂に至るまで数多くのグループに出会うこととなった。
緑の天幕が、雨粒をカバーしてくれる
杉、檜、松などが目立つ雑木林の中を、所々が薬研状に掘られた急な坂道を登ること30分、最初の休憩を取る。
休憩中もパラパラと雨が…
Mrs.Tさんから配られた林檎を頬張る。おいしかった。いつもながら、感謝!
木立の間に、三つと四つの花弁の白い花の木が印象的だった。植物博士が名前を調べておくとのこと。
休憩地点から少し進むと左手にベンチがあった。一息入れるならここの方が良かったか。
10時53分、錦鶏の滝へ40分(ナマナマコース・悪路)の白い標識を確認。道には通行を遮るロープが張られていた。
この頃になると、雨脚が少し強くなってきたので、合羽やヤッケを羽織、リュックにカバーを掛けた。風も出てきた。しかし、雨雲は陽の光を感じさせる明るさがある。幸い、本降りとはならないようだ。おまけに、繁った木々の枝葉の雨傘がある。決してずぶ濡れにはならない。
丸太で、うまく道の縁の流失を防いである

11時3分、二つ堂登山口まで30分の標識がある。登山口は10時3分だったので、倍を要した。随分とゆっくりとしたペースだ。先頭グループはとうに通過した筈である。
ところどころに急な丸太の階段が続く
道々、鳳翩山とはなんと小難しい名前を付けたもんだ、さすが山口(かなり理屈っぽく、地方の割にどことなく雅)だ、とTNさんと話す。帰ってネットで調べると、昔、東鳳翩山は「こしきか嶽」、西鳳翩山は「方便山」と呼ばれていたらしく、「方便」が「鳳翩」となったのは、周防の儒学者、片山鳳翩からとったものとのこと。(ちなみに“(ぺん)”とは、ひるがえること。よって、空を舞う鳳凰との意味か?)
頂上はもうすぐ
山頂付近には、カキツバタがお出迎え
ツツジ
カキツバタ
所々、木製の階段の点在する急な道を登ること20分、11時23分に主尾根鞍部に辿り着く。白い文字が薄くなった、やって来た天花畑・目指す東鳳翩山・下山する板堂峠の3方向を指す標が立っていた。その先に設けられた温度計は17℃だった。山頂までもうすぐである。
アザミ
足を急がせると、南よりの風がさらに激しくなってきた。道の脇には、ツツジ・アザミ・カキツバタが可憐な姿を見せる。
11時40分、そこだけ眺望の開けた左手には、眼下に雨に煙る錦鶏湖が光り、遠くに山口の街並みが見えた。頭上を轟轟と風が渡り、若葉が千切れんばかりに吹かれている。体感温度は相当下回っている筈だ。
先頭グループが未だか未だかと待つ山頂には、11時45分にやっと到着。標準より20分は長くかかってしまった。
山頂風景、北の方角
山頂からは、雨にかすむ山々(東に十種ヶ峯・ショウゲン山・青野山、北に男岳・桂木、西に数本の鉄塔が建つ西鳳翩山)が望めた。
寒さに震えながら集合写真を撮り、昼食は主尾根鞍部に戻って摂ることにし、早々に発つ。
山頂は風が強く冷たい、早く!
各自、強風を避けるように点々と座り、弁当を使う。食後には、今日は不参加のMrs.Mさんからの差し入れの菓子を頬張る。サンキュウッ。
ショウゲン山分岐、板堂峠へ

12時31分、帰路のショウゲン山分岐から板堂峠を目指し、主尾根鞍部に合流している中国自然歩道を上り始める。
13時01分、「東鳳翩山1.5km・板堂峠1.4km」、13時09分、「東鳳翩山1.7km・板堂峠1.2km」の標識在り。

「東鳳翩山1.7km・板堂峠1.2km」の標識

中国自然歩道は道幅も広く、良く整備され、気持ちがイイ。この頃から、未だ小雨は続いてはいるが、空がより明るくなり始めた。
板堂峠への道程を、13時14分に1.0km、13時33分に0.4km、13時36分に0.2kmと標識を確認しながら、アップダウンを繰り返しながら、徐々に下って行った。
13時43分、“萩往還”中最も険しいと言われる板堂峠に到る。この頃になると、風はすっかり止み、雨も上がった。
板堂峠にさしかかる
そこから木製の階段を少し下って、石畳に入る。会長から足を取られぬようにとの注意。“萩往還”は承知の通り、毛利候が参勤交代の為に築いた、萩城下から三田尻港(防府市)までの約53kmの御成り道で、幕末には勤王の志士達も往来した歴史の道である。
萩往還の道、険しい坂を下る、笹の葉があって滑りやすい
注意しながら石畳を下ること5分、13時51分に洒落た鮮やかなブルーの標識に出会う。「天花畑まで2200m」とあった。その後すぐに車道に出、そこを渡って、山肌に張り付いた石段を上り、再び“往還”に戻る。
キンチジミの清水
14時3分、“キンチジミの清水”に着く。「天花畑まで1500m/六軒茶屋跡まで800m」とブルーの標識が教えてくれる。いよいよ、“四十二の曲がり”に差しかかるらしい。

曲がりくねる“往還”を下ってゆくと、14時12分に“一貫石”、14時21分に“一の坂一里塚跡”に出会う。
この先から六軒茶屋跡までの石畳は急勾配で、両脇の竹林から降り積もった、濡れた竹の葉がよけいに歩きづらさを増幅する。『降りて下され旦那様』と駕籠が言ったとの逸話を、後で、ネットで知った。なるほどぉ。
14時32分、六軒茶屋跡(御建場跡)に着く。    昔、六件の農家があり、軒先を茶屋にして旅人をもてなしたとのこと。今は、毛利藩の参勤交代の休憩所としての建物群が史跡として保存されている。
藩主とおつきの方々の行列の、しばしの休憩所
さらに石畳の道を30分ほど下ると、山口市側からの“萩往還”入り口に着いたが、安心したのか、滑って思わず尻もちをついてしまった。
先頭グループが、その先の農家の軒先で我々殿組みを迎えてくれる。どうやらIMさんが、腰かけて煙草を吸う農家の方にしきりに話しかけている。長身の日焼けした映画に出てきそうな渋いイイ男だった。「なんでこんなキツイ往還なんか作ったんやぁ。往還入り口の四輪は乗り入れんでくれの注意なんか要らんことよ。誰が入るもんか」と大文句をこの人に言っとたんよ、とIMさん。さすがぁ。おっしゃるとおり。でも、しかし・・・。実際、機械(キャタピラのことらしい)が入らんとのことだった。
“萩往還”入口から、縦一列に並んで歩くこと5分、15時09分に県道62号線に出る。終点も近い。15時19分、車を停めおいた“一の坂ダム運動公園”に到着。総時間、5時間35分の山行だった。
少し雨風にたたられたとは言え、山はキツクも無く呆気なくも無く、山頂からの眺めは抜群、そして、往還は歴史を肌で感じることができ、素晴らしい一日だった。
瑠璃光寺の大内弘世公にも、我々を見送っていただく
帰路、「折角だから」とのTMさんの発声で、瑠璃光寺にちょっとだけ立ち寄って大内文化の香りをひと嗅ぎし、山陽道を一目散に広島へと急いだ。
了。