Thursday, 26 March 2026

木の宗山(広島市東区 401mh) (Ki no Sou Yama ) 

 2026年3月22日

  広島市内には、こんな険しい山があったとは!、と、驚くほどの、登り甲斐のある山で、頂上には、戦国時代に築かれた山城の本丸跡がある。とがった頂上からの眺めは素晴らしい。

 本日はこの山に挑戦する。午後3時ぐらいに雨の予報が出ており、早めに切り上げる予定で、商工センターから、山陽自動車道高速道を東へ、福田のインターへ、そこから近くの「憩いの森」に車を駐車。

すぐ近くの木の宗登山道入り口から、登山を開始する。

登山口の近くには、整備された階段を登る

 登り口は道が整備され、緩やかなスロープになっており、木枠の階段が連なって、ずっと上方向に延びている。この緩やかな山道を登って行くと、その道を反対側から、今、下山したと思われる我々と同じような、2~30名の登山グループに行き交う。

 挨拶を交わしながら、すれ違う彼らの様子から、一行は、我々より、一足先に「木の宗山」を登って来て下山し、次なる、近くの別の山に登られるようなご様子。



 最初の出発点から、もう30分以上も経つのに、なかなか進んだ感じがしない。
山の水が流れる、岩場の溝の内側や岩場に近い所を、草や芝をかき分け、手探りで、滑って落ちないようにし、岩場にへばりつきながら、足場をさぐる。同じ山仲間のyさんに後ろからその状態を見てもらいながら、なんとか、無事に、山頂に到着。

 元気の良い先行組のMさんや、新人の「みや」さんに出迎られ、ホットする。
 山頂は平で、テニスができるぐらいの大きさ。古城の跡だろうか?

  幸い、雨も降らず無事食事を終えて、恒例の写真撮影。
大きな石が所々にありその石を、カメラの三脚を置く台にして、皆の集合写真をパチリ。

 山頂からの眺めは、Nさん、いわく「天気が今、一つだった。本来は素晴らしい
景色が見えるのだが・・・」と、残念がっておられた。しかし、曇りでも眺めは抜群!
  
下山の途中、大きな看板があり、この辺に木の宗山の銅鐘と銅剣が出土された。とのこと。

下山は、古墳のある福田方面へ向けて降りたが、下りも急坂のため、足を
痛めた方もおられたとか。降りる時も、油断されないように。                      
                                   



Friday, 27 February 2026

江田島名峰巡り

                      2026年2月22日(日)

  春の明るい陽射しがさし込む、晴天の日を迎え、本日の明日山会メンバーの

行く先は、広島湾から見える。目と鼻の先の、江田島(能美島)となります。

 江田島は、瀬戸内海に浮かぶ島ですが、結構、高い山が多く、本日の登山

お題は、「江田島名峰巡り」となります。山頂までは車で登れるので、山

から見える瀬戸内海と、点在する島々の景スポットを、存分に堪能できる。

 本日の参加メンバーは、女性4名、男性3名の7名が、2台の乗用車に分

乗して7時半に商工センターを出発。湾岸道路を超え、呉市内を通り抜け。

音戸大橋から、早瀬大橋を渡って、あっという間に江田町の町内を走行、

左に曲がって、いきなり山の登り道に入り、道路も細くなり、カーブにゆられ

ながら、狭く、厳しい山登りに差し掛かります。

運転をされている、Tさんと,Mさんが、少し狭い、舗装された山道を、しっかり、

ハンドルを取られないように運転、お二人とも、運転に思わず力が入ったとか?

車は一気に、陀峯(だほう)山の近くにある、海岸の崖の近くにそそり立つ

ごつごつした岩山、すなわち天狗岩が見えるところへ9時時半ごろに到着。

この看板を右に40mくらい、海側に小道を、
下がると
ごつごつとした、天狗岩があります。

   道幅の広いところへ車を止め、そこから少し下ったところに「天狗岩」の看板。

その看板のあるところから右に、海側にそっての崖路を暫く進むと、その先には、

ごつごつとした石コロの塊のような、大きな置物のような、岩の怪物が山肌へ

くっついているのが見えます。これが、いわゆる「天狗岩」と呼ばれ、皆に親し

まれている岩山の出っ張り岩です。

 岩の向こうには、先ほど通った早瀬大橋や付近の山々や、青く輝く瀬戸の海が、

絶景を見せてくれます。岩の間に立って記念撮影です。

              天狗岩へ、へばりついて頑張ってます。

 車を再び、走らせ、近くの陀峯山 に昇り、しばし休憩する。

そこから、更に車を三高の町や三高山へと一気に向かう。本日の本命は、

三高山にある砲台の跡を見に行くことにあります。

 三高山(401.8mh)の頂上に上り切ったところの山頂の広場に、数基の砲台の

台座の跡があり、ここに、明治時代の後期に建てられた兵舎や、大砲や砲弾を格納

した倉庫などが残っており緊迫した雰囲気が漂ってます。

 <三高山砲台の歴史>

 江田島市北西部に位置する三高山(標高401m)の地表に、ロシアとの国交

が急を告げる明治31年2月を境に、バルチック艦隊の入港を阻止するため、

広島湾一帯の数か所の一つとして、起工し2年の歳月を費やして完成した。

播州煉瓦と、いわれる独特な素焼きの煉瓦で造られた幾つかの兵舎があり、

ここには280ミリの榴弾砲6門、90ミリ速射砲4門、90ミリ台砲4門、

弾薬庫4棟、機械設備庫や大規模な旋回監視所、その他の建物が残されています。

三高山砲台は、総面積6万坪(198000㎡)あり、西日本最大規模とも伝えられ

近代の土木技術を今日に伝えています。

屋外, 人, 男, 立つ が含まれている画像AI 生成コンテンツは誤りを含む可能性があります。
この写真の場所に、大砲の発射台が設置されていた。この山頂には、
このような区画をされた、大砲の発射台の区域が、数か所あった。

 この場所で、今は亡き私の親友だった、増田君と4年前にこの三高山砲台を

訪れたとき、この砲台の陣地や設備に関して、彼が過去の様子を推測していた

ことを、思い出します。

三高山頂にあった砲兵の兵舎,
左端に、炊事場がある。

 明治時代の終わり頃に作られた砲台の基地に、これを守る兵士の宿舎が

あって、そこに何人かの兵士が泊まり込み、炊事などをして

この基地の運営と防御活動に携わったことが、伝えられています。

 増田君が頂上の炊事場の「くど」に使ってある、赤い煉瓦や、建物の壁に

使かってあるブロックなどを見て、「この場所の建設に配属されていた関係者

や.配属された兵士達等かなり、優遇されていたに違いない。」と言ってい

るので、その訳尋ねると、「特に、赤い煉瓦などは、当時は非常に高価な

もので、この辺では,簡単手に入らなかった。その高価な煉瓦をわざわざ、

山の上に持て上がって、炊事場の「くど」の構造の材料に使うのは、当時

かなり贅沢だったとのこと。

 このことから、当時の明治政府が広島市や、日本の本土の防衛に、如何

に力入れていたかが、良くわかるのですが、当時の砲台は、ここの

江田島三高山だけでなく、宮島の鷹ノ巣山の上にも砲台があっって、

江田島と宮島を結ぶ海域に侵入して来る敵の艦船を、両側から大砲で

追い散らす作戦だったようでした。

 日露戦争は、ロシアのバルチック艦隊が、瀬戸内海に入る前に、

東郷元帥の率いる日本海軍に撃沈され日本とロシアとの戦争は終わり、

これらの場所から、一発もの砲弾も発射されずに済んだとの事でした。

  三高山は地元では、砲台山と呼ばれているようです。

本日は、山登をえっちら、おっちらの記事になっていませんが、

三高山の砲台跡見物で、知ったことは、地元に住む者として、

我々の過去の知識として知っておくことも、あり!と…思いました。

              完。