Sunday, 22 December 2019

蓮華山(Rengesan) 576.4m

                (山根さん寄稿です)

令和元年12月15日(日曜日)  

 今日は、周防の国、玖珂の蓮華山れんげさん576.4m)を目指す。
戦国の世、厳島の合戦に勝利した毛利氏が、周防の攻略に乗り出した折、大内氏の陣営にあった玖珂郷の二人の武将の内、蓮華山城主((すぎ)(もり)氏)を調略して味方につけ、南の眼前に対峙する倉掛山城主(杉氏)を攻め滅ぼさせた、との謂れのある山である。また、信仰の山でもある。
この時期には珍しく移動性の高気圧に覆われ、東の空に薄く帯状に伸びる雲がたなびくだけで、快晴となった。この高気圧は冷たい空気を含み、岩国の予想最高気温は12℃とのこと。北北西の空の低い位置、山の端の少し上に、下弦が欠け始めた月が、朝陽に恥じらうように浮かんでいた。

青空の下に蓮華山の山影

8時30分、女性3名・男性5名は、2台の車に分乗して山陽道を玖珂ICまで下り、県道70号線を北上。JR岩徳線と国道2号線を跨ぎ新幹線下をくぐると、すぐ左手は倉掛山(240m)。9時30分過ぎには、登山口前の比叡神社駐車場に着く。

ところで(閑話休題)、このブログへの筆者の投稿は10回目となるが、我ながら、ラッキーであると思う。何故かと言うと、当番の折、一つにいつもイイ山に巡り会わすこと、二つに十中八九好天に恵まれること。イイ山とは、降り下ったときに、誰とはなく「イイ山だったネ」と呟き、自らも全く同感する山である。蓮華山はまさしくそうした山であり、天気は絶好の登山日和だったのである。

比叡神社の前、登山道が左右に分れる

神社の前からは登山道が左右に分かれている。右が「室ヶ迫コース(正面ルート)」、左が「市の滝観音(市の迫滝)コース」である。今日は、左のコースから上り、右のコースを下る計画である。


柿の実の熟し具合を見ながら登山道を進む

9時45分、道の右脇に建つ小さな石標に見送られ、上り始める。背中に陽を受け、アスファルトには自分の濃い影が映っていた。
左手の廃屋を過ぎると、檜林の登山道となり、5分も進むと、右へ「本コース(正面ルート)」、左へ「市の滝観音経由」との分れに出会う。

本コース(正面ルート)と市の滝観音経由と分れ
しばらく沢沿いを上ることになるが、橋脚の壊れた大き目の木橋を迂回して岩だらけの河床を横切る。水流はあるかないかだ。
二つ目の木橋を渡り返し、急な斜面を登ること、5分。10時10分に「市の滝観音」に到る。御堂の先の滝は、高さはそこそこあるが、滴る水はわずかで、岩の濡れ具合で滝幅が推し量られる。滝の左の岩肌に穿かれたふたつの洞の中に観音様が立っておられた。


岩肌に穿かれた洞の中に観音様が立っておられた
御堂の周辺の落ち葉を掃き清めるTさん
修行大使さんの像の足元の落ち葉を払うSさん
滝や御堂の周辺でおおよそ5分ばかり過ごし、10時14分、御堂の裏手の斜面に取りつく。ジグザグに上り、途中から、斜面山側に張られたロープを頼りに急な坂道を進む。崖下には、結構な水量の滝の上流部が認められた。さらに、病葉の厚く積もった雑木林の道を登ること10分強、10時33分に山頂への白い標識を確認。そこからは、両脇に緑の羊歯が茂った緩やかな道となり一息つく。木立の合間から見える山頂の姿が青空に映えて美しかった。

木立の合間から見える山頂の姿が青空に映える
10時45分、山頂へ、右は「一般コース」、左は「尾根コース(展望良好・急坂)」との標識の立つ分岐に到る。メンバーに確認を取った上、敢えて左の「尾根コース」を選択。両脇に岩が点在する急坂をよじ登る。今日初めてウールの下着に少し汗を感じる。5分ほど登ると、眺望が開ける。眼下には倉掛山、その先に広がる玖珂の家並み。東西に平行して走る新幹線・国道2号線・JR岩徳線・山陽自動車道。そして氷室岳。その先の紫の山脈。左(東)の方には、南北に垂直に通る柳井からの道。右(西)の方には、斜めに光る山中湖。

眼下には倉掛山、その先に広がる玖珂の家並み
11時5分、正面ルート(室ヶ迫コース)との出合いに建つ下山コースの案内板に到る。山頂はもう近い。木洩れ陽に溢れる緩やかな道を進む。

山頂は間近に
11時15分、山頂に到着。最初に目についたのは、小さな石造りの祠。中には、木造の仏様の立ち姿。「多老神社」の遺跡だろうか。次に「蓮華山山頂 標高五七六.四M」の白い立柱を確認。所要時間はちょうど1時間30分。緊張感のある道程だった。

蓮華山(576.4m)山頂にて


ここで恒例の集合写真をパチリ。昼食を摂る予定の「西峯展望台(約400m・約7分)」へ、標識を横目に歩を進める。下り坂である。途中、古地図に載るという「馬戻し」の表示あり。
11時30分、西峯展望台(550m)に着く。明るい広場だ。北と南に、「蓮華山登山道を整備する有志の会」によるカラフルな案内板が建っている。それによると、北面には、西から「平家ヶ岳」「大将陣」「安蔵寺山」「小五郎山」「寂地山」「羅漢山」「冠山」と並び記され、南面には、展望地で眺めた景色に加え、「柳井港」「室積半島」「光の街」「下松港」まで確認できた。

北面には寂地山、羅漢山、冠山など、馴染みの山も見える
「蓮華山登山道を整備する有志の会」による案内板

ますます晴れ渡り、玖珂のPAでは多少あった風も無くなり、穏やかな日溜まりで頂く昼食は、粗食とは言え、至福の時である。女性陣からの三人三様のデザートを、感謝しつつ、おいしく頂いた。

ピストンのコース取りであれば、ここら辺で、ペンを置いても良いのだが、「室ヶ迫コース(正面ルート)」を下るので、もう少し、紙面を使わせて貰う。
ところで(閑話休題)、今日は投稿の任の記録作業の為、後詰を務めた。皆で、とりとめのない話を、にぎやかに会話しながら歩くのも良いが、ひとり最後尾で、頭に浮かぶ善し悪しごとを反芻しながら、静かに行くのも悪くないものだ。勤め人の頃は、日頃の色んな煩わしいことを忘れる為、むしろ、そういうスタイルを好んだものである。反芻する思考のバックに絶えず流れていたのは、ひと月前に先輩から頂いた、車中、大音量で聞くダーク・ダックスの山の唱だった。

穏やかな日差し 景色を楽しみながら昼食
12時20分、約45分の昼食時間の後、下りの途につく。そのルートは、蓮華山山頂を経由して、正面ルートとの出合まで戻り、室ヶ迫コースを下るものである。
山頂まで戻ると、ちょっとしたアルピニストとでも言ってよい三人の女猛者が、コンロを使って立膝で食事する姿が目に入った。今日出会った唯一の登山客である。
12時35分、出合を過ぎ、12時45分に「ひよどり越え」を過ぎる。

ひよどり越え
北へ行けば、「二鹿」方面へ。東に進めば、「大山蓮華」へと続く。私たちは、そのまま南へと下った。落ち葉の厚い道を降り下ると、12時55分頃から川の流れが認められ、小さな木橋を渡った。やがて、孟宗竹の混じった檜の林を縫うようにガレ場の道を進む。倒木が多い。竹が増え、その根が、檜を浮かせてしまったのだろうか。


孟宗竹の混じった檜の林、倒木が目立つ
道幅が広がり緩やかになった。13時20分、下りの道とほぼ直角に交わる林道「谷津線」を横切り、さらに広くなった道をゆったりと下る。川岸は石垣づくりに変わった。


川岸は石垣がみられる
13時25分過ぎ、視界が広がり、陽光の射す明るい田園風景となった。鈴成りの熟し切った柿の赤が、風景に強いアクセントを与えている。

鈴成りの熟し切った柿の赤が鮮やか
休耕田に据えられた養蜂箱
休耕田に据えられた今は空っぽの養蜂箱の脇を進むと、やがて、左手に比叡神社の森が現れる。森の麓に建つか細い木造の鳥居を過ぎると、神社の千年杉が目に入る。13時35分、ゴール。下りの所要時間は1時間15分だった。

比叡神社の本殿

急階段の向こうにまた階段
比叡神社は、西暦805年に近江の国の日吉大社からの勧請(カンジョウと読み、神仏の分霊を他の地にも祭ること。新明解国語辞典より)により創建されたとのこと。
近辺に唯一のトイレを求め、かつ、神社に敬意を払うべく、疲れた足に鞭をあて、あえて急階段(数えると226段あった。真偽は知らず)を上り、拝殿する。さすがに、翌日は太ももに少し痛みが残った。
14時過ぎ、神社駐車場に戻り、振り向けば、蒼穹の空に蓮華山がスックと立っていた。イイ山だった。
途中、玖珂PAでコーヒーブレークし、出発地の商工センターに到着したのは、15時10分。
玖珂PAで、TN先輩曰く、山口はイイ山が多いねと。全くの同感である。
了。

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