梅雨前線は南海上へ離れ、代わって西から張り出した高気圧が中国地方を覆い、梅雨の晴れ間をもたらした。
本日目指すは、庄原市にある多飯ヶ辻山(おおいがつじやま)1040.3mである。岡山県と鳥取県との県境に近く、道後山の南、小奴可(おぬか)盆地に聳える山である。
ほぼ定刻の7時30分、男性4名・女性3名で2台の車に分乗し、商工センターを出発。途中、中国道の帝釈峡PAで、直行のM、Nの両氏と落ち合う手筈である。
東城ICを降りて、国道314号線を「東城・上帝釈(道後山)・新見」の標識に従い、3kmほど走った後、県道12号線に入る。狭くなった道を右に左に、要所に置かれた「多飯ヵ辻山」を示す赤い矢印を頼りに進むも、勢い余って、一度、間違えてしまった。
9時30分過ぎ、井河内の東登山道口に到着。出発時には、厚めの雲に覆われていた空は、この頃になると、すっかりと晴れ渡り、目指す山の秀麗な姿が美しく見えた。
登山道口は、20台ほど駐車のできる広場にあった。その隅には、簡易トイレが設置され、丁寧に拵えられた10数本の杖と立派な案内板が、登山客を迎えてくれていた。いずれも、未だ新しい香りがする。
登山道口は、20台ほど駐車のできる広場にあった。その隅には、簡易トイレが設置され、丁寧に拵えられた10数本の杖と立派な案内板が、登山客を迎えてくれていた。いずれも、未だ新しい香りがする。
登ること10分、最初のお地蔵さんにお目にかかる。無事をお願いして進むと、やがて、短いがしっかりとした金属の階段が現れる。
浅い広葉樹林の木漏れ陽の中、決して険しい道ではないが、次第に汗ばんでくる。時折吹く風は、湿気がなく、清々しい。
10時25分、林道終点に至る。標高約800mの標識を確認し、さらに登ると、ところどころの木々にくくられた白い札が目に入ってきた。字が消えかかったものもある。良く見ると、木の名前と番号が記されていた。木々や花々に疎い私にはありがたい。山頂直前までに70いくつかの番号があったように思う。
殿(しんがり)となった3人の内、M・K二人の先達は、○○トラノオ・○○ツツジ・タラノメ・ギボウシ・○○イチゴ、・・・・とつぶやいては、盛んにシャッターを切っていらっしゃる。音痴の私がわかるのは、たしかに植生の豊かなことぐらいである。
オカトラノオの蕾 |
レンゲツツジ |
この花は? |
お宮は新しく建て替えられた大小3棟から成り、辺りは整備途上を思わせる様で風情は無い。眼下は、植林された檜があっけなく伐採され、山肌が露出、ジグザグに走るキャタピラの痕が痛々しかった。
しかし、その先の粟田地区を望む景色は、青空の映える大パノラマとなって、私たちを十分に楽しませてくれた。
猫山と道後山、遠く左側に大きく見えるのが猫山、道後山は手前の山の後ろに |
比婆山連山、中央遠くに右から、伊良谷山、毛無山、比婆山、立烏帽子山、竜王山 |
切り倒された大きな檜の根元に置かれた、「安永」と刻まれたお地蔵さんの姿も可愛く、心和むものだった。が、その姿は、奇妙に新しげに映り、不思議に思えた。
檜の大きな切り株の上で・・ |
山アジサイ |
多飯ヶ辻山の山頂に集合! |
食後は、もっぱら、8月初めの「白馬」への遠征登山の詳細な説明をN氏から受けて過ごした。
途中、まるでジャングルのような繁み |
12時45分、登って来た道を下り始める。雑木林の中を快適に下り、13時10分、林道終点(標高約800m)を通過。13時17分には金属の階段を下る。
モリアオガエルの卵を発見! |
本日、私たちが利用した東登山道は、西登山道に代わって近年整備されたらしく、広めの道・随所の案内板や標識・備え付けの杖・金属の階段・東屋等々、整備された地元の方々の心意気が強く感じられました。感謝です!
また、この山は、深い森と谷や清冽な川と滝を抱えた雄大な山ではなく、やや単調なきらいもあるが、かなり遠方すぎることを厭わなければ、誰でもが気軽に登れる良い山だったとの感想を持った次第です。
了。