今回は山根さんの寄稿です
本日の大狩山の登山口は、麓の砂防ダム公園から |
2020年10月18日(日曜日)
街では、やっと金木犀の甘酸っぱい香りが漂うようになった。やっとである。今年はいつもより遅いようだ。香りを嗅いで辺りを見回すと、庭の隅で、白っぽかった小さな四弁の花の房が、橙色に濃くなっている。
今朝は、かなり冷え込んだ。それまで広島地方は結構暖かく、土曜日は前日の深更から降り出した雨が午前中まで続いた。
早朝、空は一部に切れ間があるものの一面の雲に覆われていた。だが、出発地の商工センターで待ち合わせている間に、雲はだんだんに東へと流れ、高速道に乗る8時半すぎには、すっかり青空となっていった。予報どおりである。
本日は、安芸高田市北方の里山、大狩山(591㍍)を目指す。2台の車に分乗した6名と直行組2名の総勢8名で登ることになる。
本日の8名、大狩山の山頂にて |
この山行の計画者から送られてきた資料に目を通すと、「和泉式部が歌を詠んだとされる尼子道、そのゆかりのある峠など、夢とロマンに満ちた山塊」とある。はじめは、どうせ散歩がてらの低山だろうと思っていた私に小さな期待感を抱かせた。はてさて、どうだろう?
安芸高田に近づくにつれ、高速道は濃霧に覆われて薄暗くなってきた。三次盆地を中心にして起こる、この時期に特有の現象である。しかし、高田ICを出る頃には、霧は山の方に吹き寄せられ、登山口のある砂防ダム公園に着いた9時半過ぎには、すっかり晴れ渡っていた。あぁ、絶好の登山日和である。
砂防ダム公園の駐車場と茶店がある |
と、ここまで書いてきたが、実は、筆者は未だ大いに悩んでいる。これまで数々の山に登り、景色なり、佇まいなり、厳しさなり、花なり、流れなり、いろいろな出会いに心を動かされてきた。ところが、この山に限り、ほとんど何も無い。ごくごく普通の山道を上り、そして下りてきただけである。急登と言える所も無くダラダラと稜線を上り下りするだけで、頂上や展望台から眺望も無く、花々もほとんど咲いていない。唯一良かったのは、下りの展望台から、条件の良い時にしか臨めない三瓶山の山塊を遠望することができたことである。
展望台から三瓶山(中央の尖った青い山)が見える! |
しかし、悩んでいたのでは、山行の記録作りはできない。誰かが言っていたが、気持ち良くルンルンと山を歩きたい人たちには、打ってつけの山かも知れない。「ビバ!大狩山」そして「お山は晴天」である。
思い直し、以下に、本物の登山の記は、沢山ある他のブログに任せることにし、私なりの記録を残しておくことにする。
お山は晴天なれど、山の紅葉はまだ先・・ |
9時50分、茂谷川の砂防ダム堰堤の西側(向かって左)を進み、鹿や猪除けの鉄柵の扉を開け閉めし、上り始める。くの字に曲がる袋状の周回コースを、まずは南へと進む。道幅は広い。8分ほど進んだところで、せせらぎを渡る。何という木だろう、赤い実が青い空に映えていた。
登り口のわずかな秋の気配、「サンゴジュ」の赤 |
この赤い実は?「ミヤマガマズミ」か? |
10時5分、「大狩山○㎞・登山口○㎞」の標識、13分には、「大鍛冶屋跡100㍍先」の標識を認める。前者の標識は、その後も現れるが、すべて朽ち果て、役に立たない。
「大鍛冶屋跡100m先」の看板 |
10時35分、「大狩山0.5㎞」と読める標識あり、谷筋の道を東へ進み、やがて、檜の樹林帯にロープの張られた急坂に至る。5分も上ると、主稜線に出、再び、南へ進む。
ヒノキ林が整然と林立する、国有林か |
補助ロープを伝って急斜面を登れば、尾根筋へ |
「頂上まで0.5km」の看板 |
花はほとんど無いが、アケビ色(白っぽい紫色)のキノコがあちこちに生えており、時折、赤や白のキノコも混じる。稜線を挟んで植林された国有地と雑木林の民有地を分ける白いペンキを塗った木が目立つ。赤松も多いが、無論、松茸なんぞ望むべくもない。
アケビ色(白っぽい紫色)のキノコ |
白い色のキノコもある |
大狩山頂上(591m)の広場、白い看板にうっすらと |
大狩山山頂から南東の方角、白木山が見える |
山頂で昼食の予定だったが、未だ時間も早いし、より良い眺望を求めて、展望台で摂ることにし、11時10分、早々に西方向に下る。木漏れ日の平坦な山道を、気持ち良く進む。
左は灌木林、右側はヒノキ林、境界の木に白いマーク |
「リヨウブ」の木、貴色い看板がところどころにある |
11時28分、鞍部に人工的(断定はできない)に盛り上げられたような蒲鉾形の道を行く。これから先、北に続く路が尼子道だろう。
蒲鉾形の山道が暫く続く、尼子道か |
ところで(閑話休題)、資料では「古代と中世のロマンを求めて尼子藩ゆかりの山」とあるが、そもそも、藩は江戸時代からのもので、戦国時代に“藩”なるものは存在しないし、この辺一帯は、毛利一族の勢力圏の中心地で尼子の影響があった筈も無い。また天文9~10年(1540~41年)の尼子軍3万による郡山城の戦の折も、郡山城は直線距離で4~6㎞南東と離れすぎており、尼子がこんな遠くまでも布陣したとは考えにくい。
以上は私の曲学だろうか?「ゆかり」とは、どんな縁があったのか謎で興味深いところではある。ご存知の方は、ご教示願いたいものだ。
脱線を元に戻そう。
11時45分、展望台に到着。周囲の眺望を期待したが、望めるのは北側のみで、頂上よりも狭い。しかし、三瓶山だけは、空気の澄んだ晴天のせいで、バッチリと雄大な山容を視認することができた。さすがに三瓶山。中国地方の勇である。
展望台の看板、三瓶山が今日は見えた!ラッキー! |
いつものように、女性二人からの差し入れをおいしくいただき、コロナ禍の“go
to travel”や“go to eat”の話を盛んにしつつ、昼食を摂った。結論は、頭の良い官僚の考える策は、難し過ぎるとのことであった。
12時20分、下山を始める。緩やかな山道を上り下りしつつ、元の駐車場登山口を目指す。35分、ロープの張られた急坂に至る。上りにあったロープより急なようだ。
12時42分、茂谷川を右に砂防ダム堰堤に続く広い路に出、47分、鉄柵扉を出る。
砂防ダム公園に帰着 |
イノシシやシカよけの、鉄網格子の扉を閉める |
大狩山と砂防ダムに別れを告げる |
駐車場到着、12時50分。ちょうど3時間の山行であった。
あっけなく終わった大狩山だったが、今日一番の収穫は、やっぱり小春日和の好天に恵まれた中、山歩きができたことである。歳を顧みず、只管テッペンを狙いたがる我が性に猛省!
低山逍遙こそ、我が原点。金木犀の香りのごとくゆったりと漂いたいものだ。
了。