Thursday, 24 September 2015

伯耆大山


2015年9月5日(土曜日)晴れ

週の前半は、全般的に曇りがちのぐずついた天気でしたが、登山日の天気は、明日山会女子力のお陰で、大山の登頂にはうってつけの天気でした。

宿から、大山を望む
それぞれが、身支度をして、宿を出たのが7時30分。同じ宿にいた二十歳代の若者は既に出立していました。昨晩、宿のテレビの天気予報では、午前中は良く晴れるということで、山根さんからは、「ご来光を拝むには絶好の天気だから、それに間に合うよう早朝の出発をしますか…」という案に、メンバーは、やや乗り気になったものの、結局は7時半の出立となりました。

夏山登山口
 登山口横の駐車場は、天気が晴れで、土曜日の朝ということも重なって、すでに、満杯になっていました。
 やはり、多くの大山フアンは行動が早い。それを横目に見ながら、登山届をPOST へ入れて、夏山登山道入口より、登山開始!
登り始めたらすぐに、ご来光を拝んできたと思われる登山者数人とすれ違いました。彼らの行動力には敬服です。

阿弥陀堂
行者別れまでは、ずっとブナの林が続き、緑の林の中を抜けて、途中、阿弥陀堂(重要文化財)があったり、大山らしい登山のはじまりです。

しばらく行くと一合目の標識が見えてきて、「なんだ!まだ一合目か!」という、ため息が聞こえてきます。
各合目には、同じ丸太の標識に合目の漢数字が書かれて、それがよき休憩場になったり、まだかと思ったり、いろいろですが、疲れた足を休ませてくれるよき目印です。

登山道は、木をうまく組み合わせて山肌の土などが、流出しないよう工夫がしてあり、しっかり整備してあります。以前に登ったころよりは、格段に整備され、豪華な道ではあります。しかし、登りのきつさは以前と、同様、変わりません。

それぞれの合目の目印の棒を見るたびに、まだまだという気持ちと、ほっとする気持ちが入交り、ともかく一休み。

休憩できる広場には、多くの登山客でそれぞれ、賑わいがあり、最近は若い登山客も多くなってきました。

子連れのお父さん
中には、親子連れで、30歳過ぎのお父さんが励ましている子供は、まだ、小学校に上がっていない子だろうか、身長は50cmぐらい、自分の背丈の半分ほどもあるような高さの木の階段を一生懸命、よじ登っている姿は、ほほえましい。思わず「がんばれよ!」と声をかけたくなります。

我々も、この子に笑われないように、という気持ちで気合をいれ、へたばってはおれないと思いつつ、重たい足を木の階段に引き上げ、黙々と登るのみ。


ブナの林を過ぎると、六合目
1300mあたり、眺望が開ける、下には、温泉場や中の原のスキー場、遠くは、因幡の白兎の海岸線が見え、皆生温泉、米子の街並みから、ちょっと霞んでいるけど弓が浜が遠くに見えていました。
正面の美保湾を右上に、左から米子市、弓ヶ浜、堺港、美保ノ関
正面に日本海、右の孝霊山、鍋山








登る方角の左側へは、北壁、大屏風岩が見えます。
この辺の眺望の素晴らしさは抜群で、大山に登ってよかったと思う瞬間です。

二十数年前ですが、前回登った時は、頂上に登るだけで、精一杯だったのが、今回は、山を見て、あれが宝珠山だとか、大屏風岩がどの辺にあるかとか、ちょっと余裕があるようになってきました。
山の神さん
五合目の標識ポールの近くに、「山の神さん」という祠があります。
山の神といえば、つい、家で威張っているかみさんを思い出しますが、案内板の説明では、もともと、ここには、遥拝所があり、登山者がここでご来光を拝んで登山の安全を祈願したそうで、その山の神が祭ってあるそうです。
いずれにしても、有難いことです。しっかりと、安全祈願をしました。

六合目の休憩場の風景、大屏風岩がそそり立つ
六合目にたどりつく、予定よりは早い・・・


登山道は、八合目までは、険しい傾斜でしたが、だんだん坂がゆるやかになり、急に、目の前の視界が開け、道なりに、木の板が丁寧に敷き詰めたられた回廊に出ました。「頂上周回木道」です。

この回廊は、登山者で荒らされた頂上付近の植物体系を取り戻し、それを保護するために作られた回廊で、この維持には相当の費用と人力が掛かるのではないかと思います。


登る途中で見た強力の若者、直径20cm×2m以上もあろうかと思われる、太い丸太を背負って、登っています。一日何往復かするそうで、恐れ入りました。
坂道や山頂の回廊などのメンテナンス用の木材とおもわれますが、こうして我々登山者のために運ばれている様子には、頭が下がります。
我々のできることは、山頂の崩落を少しでも防ぐために、山頂に石を運ぶことぐらいです。その石は、駐車場の登山届を出すPOSTの近くに置いてありましたが、石といっても、河原にある直径が5~10cmぐらいの石です。一個でも、二個でも協力ができます。

もう少しで八合目ですよ! 頂上は、まだー?
木の回廊を進むと、弥山山頂が見え、山頂避難小屋が見えてきました。

山頂には大きな木のベンチというよりは、テニスの観客席のような木製の休憩場があります。そこから、剣が峰のあたりや、周囲の景色を弁当を食べながら眺めることができます。ちょうどお昼時で、多くの登山客でごった返していました。山頂の記念碑を囲んで記念。撮影も順番待ちでした。
1710.6mhの大山頂上で皆さん大満足

お昼時の山頂デッキで弁当

向こうがは日本海、左には避難小屋
弁当を食べるためのデッキの場所の確保するにも順番待ち、賑わっています。
予定よりは、やや早めに、なんとか登頂できたことや、お天気もまあまあで満足でした。
宿で作ってもらった大きなオニギリを二個をほお張りながら、山頂からの眺めを堪能しました。



下りは、登ってきた回廊とは反対側の回廊を時計回りに進み、高山植物の花を楽しみつつ、周辺の、人を寄せ付けない剣が峰や、足を滑らして落ちたら助からないと思いつつ、深い谷底を覗き見ながらの楽しい歩行です。
弥山から剣が峰、天狗ヶ峰を望む
回廊を時計周りに

数百mの谷底が見える南側斜面



丸太三本を担いだ強力さん
帰りは、行者谷分かれら元谷の方へ下山し、途中で登るときに出会った剛力の若者に出合いました。なんと!太い丸太を3本も背負って、足取りも重くユックリと登ってくるのに出合い声をかけるのも気の毒なぐらいでした。

元谷は、白い大きな石の瓦礫がゴロゴロとした川原状になって、広い谷空間になっています。バックに大山の雄大な山並みと、崩落が続いている北壁を背景に、写真をパチリ。

元谷は、昔から、大山のニュースには必ずと言っていいほど出てくる地名で、初めてこの場所に来て、その雄大さと雄々しさを実感しました。


元谷から下った川原状の広場

ご神木にするのかな?
この太さは凄い!
しばらく、林の中を過ぎると、直径が2mもあるような、しかも真っ直ぐそそり立っている大木が数本、林の中に怪物のように枝を張っていました。その幹は赤茶色の木肌で、重量感をもって、天高く伸びています。
何の木でしょうか?


この辺まで来ると、朝730分から途中休憩を一時間挟んで歩いたせいか、自分の足にも軽い筋肉のけいれんが起きて、このまま歩けるか、少々心配になりましたが、やがて、大神山神社に到着し、ホットしました。

ここで、整理体操をして、疲れた筋肉をほぐした後、登山の無事終わったことを感謝しながら、お参りをしました。

到着時刻は午後130分で、大山寺から宿の車までが30分ぐらいですから、全歩行時間は約5時間30分というところでした。
大神山神社の参道は、漬物の石ぐらいの大きさの敷き石をきれいに敷き詰めた舗装道路で、長さは約300mはあったようですが、山で石ころの道にはなれていますが、


大神山神社
この道は、石の多い河原道の不規則に並んだ石の上を飛んでいくような感じで、しまいには足が痛くなりました。
しかし、昔のひとはよくこのような重い石での舗装道路をつくるため、たくさんの石を、こんなにたくさん運んだものだと感心するばかりです。


この舗装道路を過ぎると、大山寺、そして、坂道を下りて今朝出発した宿に直行し、車にリュックと登山靴を脱ぎすてて、大山登山の終了。

大山寺
時に、午後230分。
今年の明日山会の遠征は、この伯耆大山。
最近では、過去の記憶も消えかかって、よく覚えてないくらいの二十数年前の盆休暇に、山の会で、この大山に登った記憶があります。

当時のことを覚えているのは、中本さん、久保井さん。たしか、あれは、夕方、キャンプ場に車で乗り付け、手探りでテントを張ったような・・なんとか、キャンプして、翌朝登った記憶です。とにかく、登りは結構しんどかったこと、山頂にたどりついて、避難小屋でビールを飲んだことぐらい。山頂の木の回廊は、当時からありましたね。
久しぶりの大山、当時の記憶がよみがえったかな?

今回は、男性5人、女性3人の計8人、増田ご夫妻には、お家の事情により、急に参加を取りやめとなられたことは、まことにおきのどくでした。

鍵掛峠から、登ってきた大山を眺めるのは、感慨深い